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2011. 12. 29  
そんな光景を山の中で目にすればおどろきますね。
出雲の山深い所で密かに製鉄がおこなわれていた。入道の説
をとれば弥生時代から始まりその技術は飛鳥時代頃には
かなり広範囲に伝わる。
「この間その飛鳥時代の物と思われる鋼を見つけたんで
あんたを呼び出したんだ。こちらが安来で今造っているもの
これわしが偶然見つけたやつ」
はは-ずいぶん器量がわるいな-。「ふふふそれ割って観れば
あんたなら解る」あ、なんとこれはまさに曜変天目。驚き
桃ノ木山椒の木。「これ使うてやってみたら」これぞ長年
求めていた青江の原料ではないか。「そうだ。これを船に
積んで高梁河を下った」

わたしはこいつを使って焼きに焼いた。んで数椀、油滴、兔毫、一椀
曜変を造った。辰は平成元年でした

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2011. 12. 28  
「その人は最も古い製鉄について述べていてとても興味深い。
鉄を溶かす炉はうなぎのねどこみたいな形をしていて
片方に4カ所穴があいている時代が進むとやがてりょうほうになる
四つ目から八つ目うなぎになる
このうなぎは山の斜面に築かれていた。谷筋から上がる気流を
利用していた。それに加えて側面に空けた穴に竹の筒で息を吹き込む
この作業をしたのが女性であった。海にもぐっていた海女たちに
これをやらせた。一酸化中毒で彼女等の命は短命であったようだ。
やがてふいごが出来、たたらが出来ていった」
前から備中神楽なんかで云うおろちのしっぽから剣が出たあたり
腑に落ちなかったけど。おろちとは製鉄に関わった人のことか。「そう
だ。彼らこそ天孫降臨だったわけだ。製鉄の技術を持った他民族
たぶん朝鮮あたりからやってきた彼らが山に住着みついた。
郷に居る者達は当時はめったに深い山にはちかずかなかった。がおそるおそる
山にちかずくとおろちがいて口から炎を吹いている。しかも見ず知らずの
人間がいた」

2011. 12. 27  
青江刀の地金には澄みと呼ばれる独特な箇所がありますが。
「古刀か新刀かを観分ける一つのポイントだが、鋼は加工の
善し悪しでいかようにも変化する」
天目に其の鋼を使いたい思うてあれこれ工夫しているんだけど
うまくいかない。今ふっと思いついたんだけど古青江の材料
てにはいらないかな-。
「根本的な問題よ」というと。「折れず曲がらず刃こぼれせずが
古名刀の特徴」地金「うんそう。それやっても鍛冶屋は飯食えん
この業界は地金は見捨てている。波紋、お絵描きの上手い下手で
しか評価しない」
ソも製鉄は日本でいつごろから始まったと
「笑うかもしれんが弥生中期あたりと考えているがまあ今の時点では
だれも信用しない。が、一人だけこの当時の製鉄のことを言っている
ひとがいる」


2011. 12. 25  
刀の世界では南北朝あたりで古と新に分けていますが
「うんそう。古い方は優れたのには名が付くが新以後ではない
なぜそうなのかを深く考えている者も少ない。」なぜ、藤本
入道もしかりと。
「うんにゃわしはだいたいの見当はついている」
うかがいたいですな。備前と備中青江違いなんかも
それに最近手打ちうどんやってまして。「もしかっして」
そう打ってほしい。「.....」

2011. 12. 24  
藤本さんとの最初の出逢いは尺八談義でした。
江差追分が大好きな彼は私に吹いてくれといったあたりから
でした。
これが縁で以後哲多通いが始まる。すでに故人となられ10数年の
歳月が過ぎています。先日地元で天目の個展をしましたがその日
この地方の氏神楽楽福神社とたたらに関して講演会がありました。
こうしたことからふと彼のことがなつかしくなりました。
酒酌み交わしながら彼とどんな話をしていたのか
このブログを詠んで下さる皆様に御伝えします。
ここに来る途中でささゆりが咲いていました 
「うんあれ好きなはなでなところであんた飯くうたかわしはら
へっとる。今日は家内が居ないんで」
そこにインスタントラ-メンありますが
「わしガスレンジにがてでなあのぼっがこわいんよ」
はあ.......。
今日は備前と備中の古名刀の違いをききたいんだけど
「酒ぬきでか」
もってきてますが
「うんならあがれ」


 





2011. 12. 15  
今年も残り少なくなりました
もともとおら瀬戸内生まれの瀬戸内育ち。冬も雪のない温暖なところから
なんで雪国に来てしまったんかな-。
やっぱ松の引力に引かれてとしかいいようがない。そ、松です。
わたくしの父は松本正夫なんです。んでおらがなんで杉原なん。
10代の頃あんたすぎやのうてまつやな。そのおっちゃん占い師かいうと
そうでもない。見ず知らずのひとにこういわれたことにどきんとした
思い出があります。
ま、松本でなく松の木、松割り木の窯の炎を最初に観たのは10才の時
黄金色に輝く器が炎の中でゆらめいている。美しい。理屈ぬきに....。
焼きもんや家業も後少しで60年になりますな-。
松の木に引かれて田舎のやきもんやが困るんは作品を買ってもらう機会が
少ないということです。インタ-ネットでこれやりたい。
近いうちに開店したいと思っています。
2011. 12. 11  
12月30日窯に火をいれます
あわせて餅つきもやりますたいけんしたい
人は申し込んで下さい
2011. 12. 10  
一夜明けて今朝は

12月9日の11時頃です 景色が変わりました
雪に埋もれると暗くなりがちな大人達
元気になるのは子供たちです
そう暗くならんと子供達に負けずに元気に明るい
毎日を過ごしましょう ね 皆さん

2011. 12. 10  
古い木臼
この臼かなりの年代物ですオラが手に入れたのは10年前
其の前は150年前になるんです
久しぶりにこの年末は御役に立ちます。
2011. 12. 09  
2011. 12. 04  
PC032618.jpg
焼き物を撮影するのはむつかしい
ただいま黒崎くんがんばっています
今日は地元鳥取県日南町で天目の展示
実はこれをとりたかった彼ですがむつかしいと
頭をかかえていたまいそがんでもええ
そのうちここに紹介します
志乃シリ‐ズからいきましょうてなことでまずは
腕試し
何事も経験はい
2011. 12. 03  
PC032615.jpg
2011. 12. 03  
PC032614.jpg
今年の春の窯で出来た茶碗です
2011. 12. 01  
玄関の外の郵便受けの下にデ-ンと座っている臼
に目をつけた松原君此れで餅つきたいなあという
そらかまわんが何せ釉薬に使う藁をついているため
汚い。でも彼は執念でこれを半日かかって何とか使えるまでに
した。
杵はあるかな-ということであれこれてをつくしている。
数人の人に聞いても昔はあったの答え。
昔じゃのうてこの年末にいるのよ。は-
総和30年代あたりではどこにでもあった。そういえば
彼はいろりに憧れている。いろりな-
先生火鉢造りたいときた。
どんな形、う-んさいころ。さいころな-
これはおらも手伝って立派なのが出来た
上機嫌である21世紀に生きる23才の若者。
もっぱら彼にふりまわされている。正月の餅が愉しみですはい。
プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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