--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012. 02. 29  
DSCF0005.jpg
DSCF0004.jpg
使い込むなかで緋色が増してゆきます2011年春昨銘「なつつばき」
スポンサーサイト
2012. 02. 29  
おおよそやきものといえば磁器と陶器に分けられています。磁器の素地は
白い色です。しかし陶器の素地は複雑でありその色合いを生かしていま
す。釉薬を掛けないで素材そのものの味わいを楽しむ備前、信楽、伊賀等
にも緋色はあります。

帝王紫をご存知でしょうかペルシャ湾が今の様に汚染していなかった時代
にからす貝に似た貝を煮だして造られた染料で布を染めると茶あるいは黄
に染まります。これを長年使っていくと次第に紫から緋色になる。
旧約聖書のなかで祭司が神と出会う幕やは緋であり至聖所、祭司が民衆に
神からの宣託を伝える幕やは紫で聖所となっています、
修行僧が新しい衣を授かってこれをまとい長年修行を重ねる中で衣は紫から
緋色となる。昨今やたらと赤い衣の僧が目立ちますが現代は聖人が多いんで
しょうかねえ。

備前焼きの緋色は稲藁を器にまいて焼くことで出来ます。ひだすきと呼ばれ
ています。伊勢崎のみったんがいい色出してましたが...。昔のことですが、
信楽、伊賀の場合は炎だけで出ます。ビ-ドロ、緋色、こげ。これらの色が
複雑に器を彩り深い味わいがあります。
倉敷の太田が白い萩茶碗もっていきよったがこれの見込みにほんのりと暖か
い緋色が出て銘を「かまくら」にしましたが、使うなかで出る緋色も味な
ものです。
品の良い赤い色は染め物も焼き物も魅力ある色です。

雪に埋もれての毎日ですがその雪の下に緑色のふきのとうがこのあたりに春
を告げてくれます。やがてわたしの好きな花ヤブツバキももうすぐ観れます
なあ。雪国の早春、心はずむこのごろです。



2012. 02. 27  
年末以来多いときには2mを超える雪に埋もれました
湿度が70、80パ‐セントです。なぜか風もない。
割り木を乾燥させるには最悪の条件が整っています
とはいえもう3月になります。いま雪は1mくらいに
風も吹き初めて明日あたりからかまたきの準備に入ります
3月10日かまたきする予定です。

2012. 02. 25  
焼き物の面白いところは土味にあります。土、陶土は溶岩が気の
遠くなる程の年月のなかでおかれた環境の中で鉱物や植物等と
混ざって出来ています。わたしは若い頃から山が好きで色んな所
でこれは使ってみたいあるいは使えるのでは、とおもう土を持っ
て帰っては試験しています。
姫谷もそのうちのひとつですがこの土は素晴らしい良い土だなと
思ってあとでいろいろ調べてみるとほとんどの場合かってそこで
焼きものが焼かれていた、あるいはたたら製鉄址でした。
土がどのくらいの温度に耐えられるか、このことを耐火度と云いま
すがこれの高い土は炉壁に使えます。地方によってははがね土と呼
ばれています。この土は池の堤防にも使われています。

さて姫谷で焼き物をしていた人達のことを想像するとおそらく彼ら
は中国からやってきてこの地に住み着いて密かに焼き物をやってい
たように思えます。ろくに調べもせんと想像で申し訳ないのですが
御付き合い下さい。
赤絵が中国ではじまるのは明朝あたりです。青磁の優品は宋あたり
わたしが観た姫谷の青磁はオリ-ブ色の青磁です。この青磁も赤絵
の皿も磁器でない陶土です。
わたしが気になっているいくつかのことをはなしますと
赤絵が我が国で始まるのは有田焼の柿右ヱ門からと云われています
青磁はこれより300年後宇野仁松あたりとされています。
姫谷が正確にいつごろから焼き物を始めたかについて私なりに調べ
てないわけでないのですが、はっきりすっきりしないまま今に至
っています。ただ赤絵も青磁も日本最古ではないだろうか.....。
特にわたしはここの陶土に魅せられていいます一級品です。
またここで仕事をした人達の技量にも敬服しています。
いまでこそ焼きもん始めるのは大したことではないが、あの山深い
ところにはるばる来て当時日本の陶芸の水準を遥かに超えた高度な
技術で作品を造ったかれらとは。興味深々



2012. 02. 23  
釉薬に酸化銅を混ぜているのが辰砂ですがそうではなく生地に
酸化銅を混ぜた顔料で模様を描きこれに基礎釉、または石灰釉
を施釉してあるのを釉裏紅と云います。
うまく付けたなあと思います。中国、南宋末期あたりの優品を
上海美術館で視れます。

辰砂、釉裏紅の他に緋色があります。この色は酸化銅を使う
のではなく陶土によって出やすい土とそうでないのがありま
す。高麗、李朝あたりの焼き物で御本、粉引き等の器に優品が
あります。
今ひとつ桃山時代あたりの古丹波の壷等に美しい緋色の作品が
ありますが材料がなくなったとかでほんの一時期造られて以後
観ることはありません。

こうした比較的高温度1300度前後の赤い色とは別に上絵の具の
赤絵といわれる色があります
山形大学の工学博士の高橋教授の招きで米沢を案内して戴いた
折にこの街の酒蔵美術館で見事な作品に出逢いました。
秘谷あるいは姫谷焼の最古のもの七点、そろいの小皿でした。
有田焼の柿エ門が日本で最初に造ったとされていますがこれより
かなり時代をさかのぼって赤絵は我が国で焼かれています。
福山市の街から東城方面に車で40分くらい走ると秘谷の窯跡があ
ります。
この窯では青磁も焼いています。いまは廃墟となっていますが、
ここの陶土で作品をつくってみたい。もう20年以上ゆめみています






2012. 02. 21  
今頃になってとおしかりを受けそうだが、何か書くとすれば当然
自分が書いたものを誰によんでもらうかおおよその対象を想定し
ていなければならない。
やきものに関して書いてある本は機会があれば図書館なんかで見
てきた。しかし私には不満が残る。初心者向けの本も最近多くあ
るがいまいち親切とはいえない。ようするにピントがずれている
ただおおよその智識を得る上ではそこそこ役に立つ。
んでわたしはだれに読んでもらいたいかをおもったときにじぶん
が焼き物に「ついて」語るのでなく「これを」はなそうとしてい
ます。なかには解り難いとおもわれている方もおられると承知し
ていますが物書きでないやきもんやの駄文と流してください。

すこし色気のある話をしたいと思います。きれいな赤色と云えば
水銀とか中国で印材に使われた鶏血石なんかにみられますがこの
赤い色のやきものを辰砂といいます。この色は硫酸銅または酸化
銅を使います。長石と木灰を合わせた基礎釉にまぜて1300度位で
焼きます。炎は還元炎で紅、酸化炎だと緑色になります。
ガス炉だと簡単ですが割り木だと多少てこずります。
25時間で1300、30時間で1330度といったあたりが私の経験した
ところです。
かっては酸化、還元の炎の調整が難しいとかで辰砂のきれいな器
はバカ値が附いていましたなあ。
まやっかいといえばやっかいな釉です。焼く時間が長いか少し温
度が高いと色は消えます。銅が蒸発してしまうあるいは近くの器
に移ってこれを赤く染めたりします。
かといって温度を下げれば色は濁り美しいどころか品の悪い汚い
色になります。
品のいい紅色はあまりみかけませんなあ


2012. 02. 20  
利休は織部に手紙でお茶の心を述べている「お茶はマンネリに
なってはいけない。もてなす客には常に新鮮な感動を供するこ
とを心がけるが大事」
ひょうげものの背景には師である利休の心を表現させているよ
うにおもう。型にとらわれない自由な発想。織部のオブゼには
利休から受け継いだ思想、哲学が内面にある。
本阿弥光悦、小堀遠州等がこれを受け継ぎそれぞれが独自の
芸術作品を残している。
わたしがここでいうオブゼはメヂア等でいう思想も哲学もない
変形した形とは異なります。

ひょんなことから光悦の茶碗で抹茶を戴いたことがあります
光悦が加賀のお城で焼いた三椀のうちの一椀。この茶碗
の形はまさにひょうげていてなんともユウモアがありました。
これに光悦にしか出来ない黒の色で形、色ともに品格が備わり
感動したものでした。

利休が確立したお茶の真髄は様式美である。がしかし一面では
ともすれば型にとらわれることを戒めても居る。お茶には形が
ありこれを逸脱してはお茶でなくなる。
しかし心がともなわないで形だけまもっても人をもてなした
とはいえない。利休は茶室の空間をぎりぎりに狭めようとした
せいぜい五人入れる空間、お互いの息き使いが解る中でもて
なそうと努力している。
2012. 02. 19  
故武満徹さん作曲の「ノ-ベンバ-ステップ」招待して戴き
このときに話されていた音作りのことがとても興味深く印象
に残って居ます。
「音は空間に沈黙するほどひしめいている。この中のどの音
を引き出すかなんです」「ワンハンドボイス」あなたは片
手の音が聞こえますか。こう問いかけた禅の高僧の言葉と重
なります。
ウイ-ンのある美術館を倉敷の漆芸家原田杜子史さんと訪れ
たおりに観たオブゼの作品にも同様の考えがあるように思い
ました。
原田さんから私は多くを学びました。わたしは正直いえば思
いはあってもオブゼ作品はあまり手がけていなかった。
前にもはなした古田織部のいうひょうげものに突き当たって
みると実に面白いことに武満徹さんのいう音、原田さんの
オブゼ、ジョン.レノンの歌うワンハンドボイス一つの線で
繋がっている。そのように理解した時点から私の作品は変わ
ったと思う。それは私なりのオブゼ作品の始まりとも云える
のかもしれない。



2012. 02. 16  
今日は久しぶりに庄原の久保さんが来てくれました焼酎を手みやげに
こういった人大好き
本田竹広フアンの彼と話していてふ-と宇崎竜童のことが思い出され
ました。毎度ふるいやつだとお笑いでしょうが....。
わたくしかまたきながらラジオ聞いていましたら彼が当時佐渡に拠点
を置いていた鬼太鼓座と一か月合宿したときの話をしていました。
私達が明日東京に帰るというので座の人達がお別れ会をしてくれま
した。一座との交流は素晴らしかったが一つ疑問に思ったことがあっ
のです。「私達ここにいてこの一座の誰からも不満とかを聞きません
でした私が率いるメンバ-なんか毎日やってますが...」
たぶんこれに応えた人は亡き田耕座長だと思いますが
「不平とか不満はあなたがた以上にわれわれはもっていますただそれ
はエネルギ-であってこれを太鼓に打ち込みます
口にすることはこれを捨てることだと思っています」
窯を炊くたびにこの話を思い出します。松の割り木とともに自分の内
にある情念も燃やすんだと。
後年私の親友である尺八の演奏家松田惺山さんとのコラボのおりに
田さんに鬼太鼓座を引き受けてほしいと云われてますと聞いて賛成
した数ヶ月後田さんオ‐トバイの事故で亡くなられました。








2012. 02. 15  
「なんじゃおまえの描きよる線なっとらん」
わたしが19才の頃丹波焼きに居て修行のみであった頃、工房にふら
りと現れたじい様が云う。はああきませんか「線が死んどる」
んであなたはどちらさまで「わしか書家や上田いうもんや若いくせ
にそんな弱い線かくな」ではお手本描いて下さい
「わしが描かんでもそこにある」わたしが座る背後を指している
粗壁のひび割れが造る線だった。上田桑鳩先生との出逢いであった。
ろくろで皿を水引しているときに師の虎吉にも線のことを言われた
ことがあった。以来線のことが頭から離れなくなった。
のびやかな線、生きた線、強い線空間と形を分けるのも線「形は無
限形は線線は形」これ禅問答かなあ。
ろくろを使う使わないにかかわらず形を作るとは線を描くことだと
思っている。
とはいえ生まれついての不器用な自分;この線が想いのままに描ける
ようになったのは最近のこと。
ほんのちょっとしたことであるがこのちょっとしたことが難しい。
かの唐九郎先生もこれに苦労されたようだ。

桃山時代に生きた武将であり茶人でありデザイナ-古田織部。
この人物が妙に気になり彼の足跡をたどっていくと
「ひょうげもの」の言葉にいきついた。ひょうげるとは何か。
彼は自分がデザインした作品を残していてこれらの作品から彼の
想いが伺える。実にいきいきとしていて素晴らしい。ただ、陶芸家
のなかには緑色の器を織部となのっているものがいるが彼らは織部
の心が理解出来ていない。
私の知る限り唐九郎先生かな。形はゆがんでいるから美が在る。
地球も人の顔も左右同じではない動きのある線生きた線生きた形
そこに美が在る。と
表面的に物まねが出来ても美が無ければ意味が無い。利休は云う
「小手先をひけらかすを最低とする。品格をもって最高とする」











2012. 02. 13  
かって山深い場所でかんな流しという方法で砂鉄を採集
するのだが、この作業は本来きれいなはずの川が汚れて
川下に流れる。いまひとつは砂鉄を炭火で溶かして玉鋼
を造る。かの藤本入道から聞いた話ですが谷筋の斜面に
ウナギの寝床のような形の炉を造っていた。上昇気流を
利用して炉の温度を上げていた。
やがてこの炉の片方に4カ所穴をあけて竹筒で息を吹き
込んでより高い温度を得た。これもやがて炉の両側から
となる。四つ目うなぎから八つ目うなぎに......。
この作業は息の長い海女によってなされたらしい。彼女
達を吹き子といった。後にふいごという道具が出来る以
前のこと、二酸化炭素のまじった空気を吸い込んでの作
業であればおそらく短命であったろうと想像出来る。
濁った川二酸化中毒、ともに今日で云われる公害である。
里の人達にいみきらわれてかれらはオロチと呼ばれ差別
された。
私の居るこの地に楽楽福神社がある。ササ福と呼ばれてい
ます。ささは竹此れを吹く。ふきこを奉ってあると思われ
ます。
オロチは里人達にきらわれたのみか辰の権力者にも疎まれ
闇に葬られ表の歴史には登場しません。神話ですね




2012. 02. 11  
日本民族が砂鉄を加工して鋼にしこれを刃物にした時代
を飛鳥、天平時代あたりと日本史でかって云われていた。
今はいつの頃と云っているのか知らないが五世紀あたり
に我が国には鋼は存在していないという。
しかし私は弥生時代に加工した鋼を持っている。
このことをどう説明すれば良いのか。
私がまだ総社市に居たおりに鬼ノ城の調査が行われた
この調査で特に注目されたのが石垣であった
石は精巧に加工してあるがこの時代に鋼は存在しないと
の常識があるために聞いていて御気の毒と云える説明を
されていた。数年後同じ総社市の西、新本で五世紀のたた
らあとが発掘された。このとき市役所にその模型が展示
された。その模型の説明によると谷筋にうなぎの形をし
た炉は炭窯横に丸い形の窯は鋼を造る炉との説明であった
歴史も事実もその時代に権力をにぎる者達の都合で変わる
国の権威で存在している大学から報酬を得ている学者であ
れば事実を曲げることなど大したことではないんかなあ
ともあれ砂鉄の仕事をしていた人達は長い歴史の中で
差別されてきた。弥生から六世紀まで日本で刃物の生産
は行われていなかったんです。

2012. 02. 08  
安来のかたで香西さんが昨年窯場に来られたとき
「韓国の人で井戸茶碗は特別な器で日本で云われている
のと違う意見を話されています」
何と云われるかたですか「たしか柳さんとか云われてま
した」柳海剛先生のご子息でしょうか「はっきりしたこ
とは知りませんがそのかたの云われるのには韓国の高麗
李朝などの作品を日本人が大切にしていることもあって
日本にたびたび来ておられます」
井戸茶碗は無作為の作為であって意図して造られては居
ないいわば雑器である。あの言い分に異を云われていま
すか「はいあれはれっきとした意図があり、これをやり
尽くしてはじめてできる作品だと。どうおもわれますか」
どうもこうもござんせんよ。そのとうりですなあ。
おら若い頃からやっていますが最近やっとできるように
なったまあおらのばあい特別へたくそだからははは
「そのかた松江におよびしておはなしききたいと思って
いるんです」そのときはぜひ私もおあいしたいですなあ

もう二十年以上まえですがかなり頻繁に大阪の東洋陶磁
美術館に行っていました。そのときの館長とはずいぶん
話しました。李朝の作品はガラスケ-スに納まっていて
もう長く人の手に触れていないため肌のうるおいが無く
なっていると云っておられました。
白磁青磁等高温度で焼いてある作品とは違う残念な一面
ももちあわせている。
それだけ生身の人間に近いし魅力もあるといえます。
日本では萩もおなじように使い込むほどにあじわいが増す
土とこれを生かす焼き加減、かっての陶工たちが工夫をし
て独特の芸術が産まれています。
無作為で芸術は出来ません。あたりまえのことですが権威
ある人が云ったことの鵜呑みはやめたほうがいいですね。




2012. 02. 04  
DSCF0068.jpg
素材は弥生時代に荒おろし加工をしてある鋼で1355度の
高温で焼いています星がそうであるように自らは輝きません
が太陽の光を受けると美しく輝きます
朝、昼夕方と色は変化します
2012. 02. 04  
地質学者の内藤先生の著書「古陶磁の科学」のなかで天目
について述べておられますからあらためてごたごた云うこ
とはしませんが、曜変に関して付け加えたいことが在りま
す。
私の天目釉は1340度で滴珠が出来る設定にしています。
これよりさらに高温になれば珠はしたに流れて筋状の痕跡
ができます。これが兔毫と呼ばれる模様です。
次に曜変ですが私の滴珠は芯が核になっています、
釉薬が薄いと核は小さく濃いと大きくなります。
兔毫ほどでないまでもこの核が高温度になれば移動し始め
ます。上からしたに....。そこで隣同士上下の核は引き寄せ
られます。時間がゆっくりであればアメ-バ-になります。
核が移動した後に痕跡が残ります。
流星の後ろにちりのような物質が視られるのと同じです。
痕跡は光を受けて美しい色を出します。
これは光彩と呼ばれていますが天然の鉄に視られるものと
人工的に鉄以外の金属のものとははっきり違います。
刀で云う刃紋にあたると思います。
わたしがは刃紋のことより地金、上に浮かぶ模様より下に
沈んだ深淵な紺あるいは紫の色を出すことに苦心しました。
藤田美術館の曜変の解明もほぼできていますがあくまで私
はコピ-には関心ありません。曜変の模様は無限であって
過去の物まねをする気はありません。
死んでいる世界に立つ気など毛頭ありません。
以上で天目の話は打ち止めにします。
2012. 02. 02  
50年前曜変の美の世界に魅せられて以来、その模様の
コピ-を考えたことは一度もなかった。
現存する作品は全て模様が違う。それぞれ模様は違うが
曜変の美の世界が在る。信長と共に焼失したとされる作品
無論想像するしかないがやはり同じではない。
がしかし、どれも曜変と呼ばれています。アメ-バ-で無け
れば曜変ではないかのように云う人もいますがこの考えを
私は持っていません。
わたしが求めたのはこの美の世界であった。そこに産まれ
る模様は無限だと想っています。
「おぬしそうは云うがやれんから逃げとんとちがうかテレ
ビ観たもんアメ-バ-に憧れよる」このことに関してはまた
くわしくおはなしします...。

わたしが描く曜変の世界は曼荼羅。一握の器に宇宙の深淵
と大きさを視る。そこに浮かぶ模様は星紋。これを曜変と
思ってています。
わたしがこの世界に出逢った頃これを偶然出来たものだと
云う人達がいました。いまもそう考えている人があるいは
居るかも知れません。あの作品が偶然の産物であれば芸術
ではない。
備前焼きをやっている作家愛好家の好む窯変と同じレベル
でものを云う人もみかけます。この考えははなから私には
ありません。ただわたしは物つくりであって評論家ではな
い。作品で証明するしかない。
自分が追い求める美の世界。
ゆめとしたものが偶然でしかないのならドンキホ‐テであろ
う。それはそれで面白いしまんざらでもない。
幸か不幸かわたしは求めた美の世界にすでに入っている。



2012. 02. 01  
私が曜変天目茶碗に出逢って感動しこれを自分の手で造り
たいと想い釉薬に使う鉄を試していくなかではたして鉄以
外の金属を人工的に混ぜることを考えなかった訳ではない
曜変再現をあからさまに云わないまでもそれらしく臭わせ
た作品展を観に行ったり雑誌等で写真を観たりしたが、や
はりそれらの作品に美はなかった。
曜変で人気がある作品は精華堂所有の作品のようでこれの
コピ-をやって有名になった人も居る。
わたしはそのことを批判する気はない。ただ、私が想う
曜変とは何か、なにをもって曜変とするか。この想いが異
なることは確かだと想う。
人工的に鉄以外の金属を混ぜた作品から私はなんらの
感動も美も感じられない。

わたしが想う曜変天目のことをここで話します。
曜変の釉薬は鉄分が多く含まれています。ただし私が使う
鉄はかなり鉄以外の成分があります。人工的にさじ加減を
していないだけです。
この材料に出逢って以後自分の想う曜変天目の概念がみえて
きました。


プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
メールフォーム

*上(別窓)のメールフォームが表示・動作しない場合はこちら

カレンダー
01 | 2012/02 | 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 - - -
カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。