--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012. 03. 30  
民は天下が太平であるを願うがその想いに反して何時の世も穏
やかとはいえない。たかだか千年の歴史を振り返ってみて思う
のは時代が穏やかであろうが乱世であろうが良い作品は産まれ。
ている。そこには人間が希望を捨てず常に未来に良き時代を望ん
で居るからではないだろうか。
十代の私が焼き物に興味をもったのは過去の作品に触れていた
からではない。やきものに特別な想いがあってのことではない。
呉で岡山で戦争という異常な環境の中で自我に目覚めた私には
人間が作った良い作品に触れる機会等あり得なかった。ただ、
山と川の自然の中に美しいものを見つけていた。
今思うと焼き物の道具とか窯の壁面に美を感じていた。これら
は作品ではなかったが炎で割り木の灰が溶けて美しい模様が出
きていた。
この模様は川で見つけたあのしじみに重なっているとおもう。
やがて年とともにさまざまな作品に触れて今に至っているが
伊賀の作品を毎窯焼いている。とはいえ気に入る作品は簡単に
はできない。
21世紀といわれる時代になってもう十年が過ぎている。
今という時代を乱世と云いましたが、このことは決して悪いと
は思っていません。
かってそのような時代に中国では砧青磁が曜変天目が朝鮮では
高麗、李朝の名品、日本では織部、志乃、古伊賀などが作られ
ています。
時代の潮目に平穏なときに染み付いた垢が洗い流されて良き時
代へ向かうのではないかなとおもうこのごろです。
   





スポンサーサイト
2012. 03. 27  
一年365日光陰矢のごとしといいますが速い
昨年三月の出来事から辰は過ぎ去りました。ただ、想うこ
とは地球上どこにいようが安全が約束されている所は無い。
わたしはこのことを改めて思い知りました。
物作り60年といえばとてつもない年月のように想われます
が「あしたに紅顔ゆうべに白骨」ほんのわずかの間であった
ように想います。
かの魯山人は物を作る上で「惰性に走る」をことさら嫌いま
した。このことは自らの体験でよく理解出来ます。
手仕事がもてはやされた時代、善し悪しはともかく手ずくり
であれば高い値で売れた。
中身は型であって見せかけはいかにも手作りですといったも
のが一時期はやりました。
こういった流行廃りも一つの潮目かもしれません。
今という時代をどう思うかですが私は個人的には乱世だとお
もいます。遡って乱世と云えば平安末期、中国でも南宋から
時代は元になります。
我がくにでは平家が滅び源氏へと移ります。
この後天下は乱れやがて信長が登場します。
最近読んだ本に乱世のまっただ中で民を想い民のために天下
を考えていたのは信長一人であったと...。
彼は異文化にふれるなかで理想とする天下を想いえがいていた
民が主役の天下であったという。
物作りは天下が穏やかな中でこそ良い作品ができる。とはかね
てよりきかされてきました。が、改めて乱世であるいま
歴史を振り返ってみてあながちそうとも想えない気がしています
作品が高い値段で売れる。これを扱う業者にしてみれば高い方が
利ざやは大きい。過ぎ去った時代をなげく声は良く耳にします
彼らにとって乱世はうれしくないようですね。



2012. 03. 25  
DSCF0022.jpg
しの酒杯
今回の窯で出来た2点です
季節はかまたきの時点からかなり進みましたが相変わらず
湿度の高い毎日です85-90パ-セント
積んでいる割り木すこしは乾燥したかなあ
このあたり彼岸の七雪といった言葉がありまして
昨日からけさにかけて10センチ降りましたでもまあ
これは春の淡雪ですがね
2012. 03. 21  
昨年も今年も相当な量の積雪でした。絶望的集落で過ごす
お年寄り達にとってことのほかつらい時期のようでした。
彼岸が近ずき雪も少なくなると季節感のない都会では味
わえない生きる喜びがあります。
わたしは好き好んでこのような山村暮らしをしています。
とりわけ好きなのは肌で季節感を味わえることです。
二十代にゆめみた曜変天目茶碗を作るにはどのような環境
が必要か、このこと以外考えていなかった。
うりかえってみると家族と暮らすことも出来ず財産といえ
る物も無い。
身一つではあるが三人の子と五人の孫達のことをいつも心
で想う絆でつながっている。
先日原田さんとの会話に「あんたも倉敷にいてくれたらなあ」
それはわたしも想いは同じである。
子供達の近くで暮らせたら、仕事において私を愛してくれて
いる原田さんと近くにいて活動出来たらおもは無いではない
しかし、わたしには仕事をする上で今の環境が必要である。
曜変再現のゆめはもはやわたしの頭には無い。過去のことで
ある。先日太田はこのようにいった。
「この天目は杉原天目だ。まったく非の打ち所がない。新し
い美の世界だ」
いまわたしの前に開かれている路は22世紀に向かっている。
わたしは普遍美と云う言葉が好きです。この言葉の意味する
ような作品を作りたい。










2012. 03. 20  
小さい文字>もう十数年前にわたしは片目を失っている。
藤本入道の山でスト-ブに使う薪の木を用意するため作業をしていて
怪我をした。倉敷の病院にわたしを送ってくれる車中で「怪我は不幸な
出来事だったがあんたはこれで心眼が開ける」
医者からは義眼を薦められたがことわった。ただこのことは危険をとも
なうことらしい。頭に衝撃が加わると大変なことに成るらしい。
まあ以後は爆弾かかえて生きることになったわけだ。
入道の云う心眼とやらがとくに開けたともおもえないでいるが....。
先日倉敷在の漆芸家原田杜子史さんに久しぶりに電話した。彼の奥さん
のことが気にかかってのことだった。
そのごいかが。
「すっかり元気になった」
それはよかった気になっていたもんで電話したんだけど
「わしはあんたのことが気になっていたんじゃけど電話番号訊いてなか
って電話出来んかってな。そりゃそうともっちゃんあんた最近抹茶碗が
ぼっけ-ようなっとるな-」
ありがとうござんすおかげさまで...。
彼とは40年近い付き合いであるがこのように云ってくれたことは正直嬉
しかった。
彼は漆でオブゼ作品を造りその仕事からわたしは多くを学んで来た。常に
意欲的で世界のトップクラスのア-チストである。
若い頃グル-プ現を立ち上げ私は10年位参加していた。ウイ-ンに誘って
くれたのも彼であった。
私がたまに作るオブゼ作品は評価しても茶碗は一度も良いと云われたこと
がない。萩の大和保夫だけは良いといっていた。
最近私はオブゼ作品を集中して作り始めている。美しい線を描きたい。
年末の個展でお見せします。



2012. 03. 19  
土曜日の晩倉敷から太田がやってきた。
この冬の灯油引き受けましたということで今回もそれを運んで
くれた。おかげでおらは暖房の心配しないで厳しい寒さに対応
出来ました。
彼の目的はいま一つ今回の窯で天目がどのような状態かが観た
い。彼はおらの天目に彼なりに夢を描いている一人である。
いつものようにありあわせの総菜で軽く呑んだ。
「今回は温度が少したらなかったようだけどどんな状態か」
はっきりいえば25度たらなかった。しかしいい色が出ている明
日みせるよ。あんたならたぶん解ると想う。
「うれしいね明日を愉しみにしよう」
湯原の吉田先生に聞いた話だけど昔、中国に琴の名人がいた。
あるとき演奏しようとしてふと目の前にいるみすぼらしい一人の
男がいることに気づいた。ちょっと気になったが演奏をした。
彼は乞われるままに旅をして色んな土地で演奏をしていたが。こ
の男はいつもその場にいた、
言葉を交わすこともないまま数年が過ぎたある日を境に男の姿が
見えなくなった。気になった彼はその男の消息を聞いているうち
にもはやこの世の人でないことを知る。
このことを聞かされて初めてじぶんが誰の為に演奏していたかを
思い知る。
もはや自分の演奏を訊いてくれるものはいない。彼は谷川の鬩ぐ
白芽台から身を投げた。
「すごいはなしですね」
翌日昼の薄日で今回の天目を彼に手渡した
「やったね」
アゲハの羽が日の光で輝くなかにこまかい惺紋が無数に浮かぶ。
「なにも云うことありません脱帽です」
多くの人に助けて戴いて21世紀の曜変誕生です



2012. 03. 17  
小学校3年位までは向こう岸まで舟で渡って学校に通っていた。
洪水になると学校は休む。そんな或る朝学校にいき自分の机のふたを
開けると豪勢な絵の道具が中にごっそりあった。
先生の話によるとあの高瀬舟の絵が特選になり海外に紹介去れている
らしい。ただでもらった絵の具はことのほかうれしかった。
時々学校の帰り道をすこし遠回りして海水のまざるあたりのしじみを
取りにいった。この貝は黄色にくろい模様があり美しかった。
呉と岡山共に焼夷弾で家を失い優しかった父は戦地で亡くなり孤独
な自分にとってこの美しい貝は宝石のように見えた。
たぶん産まれてはじめて美しいものに出逢ったように思う。
あるとき川の支流を歩いていたときものすごい数の鮎に囲まれた
呆然と立ちすくむわたしの目の前でからみあったあゆが一メ-トル
位たちあがりざざっという音をたててくずれるなかにはそのまま砂浜
に落ちる。すさまじい光景は今も脳裏に焼き付いている。
やがて上流にダムが出来川は死んだ。
昔と同じように水が流れてはいる。しかしわたしが少年のころだった
あの川はもはやない。
やきものやとなり今に至っているが幼い頃体験した地獄絵も自然の恵
みもともに自分の美意識として存在している。
曜変天目をゆめみていながら挫折感に襲われていたとき山の谷筋で
数百のからすアゲハに取り巻かれた。立っている私を取り囲みうずま
き状に飛ぶ。日の光に羽は美しくきらきらと輝いていた。
これは現実かゆめか。わずか数分の体験ながら天の意志を想わずにいら
れない出来事であった。



2012. 03. 16  
幼稚園に通う位の年、私は岡山市にいた。
かばやという会社の赤煉瓦の塀が家の裏にあった。玄関を出る
と西川があり岡山駅に近い場所であった。熱い夏の夜明け前、
おこされて防空頭巾をかぶせられてとなりのおばさんと岡山駅
にむかっていくと川も路も死体がごろごろあった。駅の近くで
大きな建物が燃えていて夜が明けきらないあたりを照らしてい
た。
岡山空襲のあさであった。空を見上げるとものすごい数の飛行
機がなにやら黒いものを雨の様に落としていた。焼夷弾である
周りのいえもかなり燃えていた。
この地獄絵から抜け出て倉敷で小学校に通うようになった。
昭和20年あたり私は高梁河の下流域あたりを遊び場にしていた
低学年の頃は友達といえる者はなく学校も面白くなかったしほ
とんど川にいた。
川にいないときは山に居た。当時の大人達からカッパ、山さる
と呼ばれていた。
今思うと川も山も自然は美しく子供であった私を暖かく豊かに
包みこんでくれていた。
あるとき洪水があり普段わたしが遊んでいる場所の水かさが
増して川上から色んなものがながれてきた。
ときには茅葺きの家ごと流れてきたこともあった。
荒れるとおそろしい川に変貌する。
あれは春のある日のこと高瀬船が十数隻並んで川をくだって
いった。背景には桜が満開であった。この風景は絵であった
わたしはこれを描いた








2012. 03. 13  
今回の窯焚きも前回同様に大勢でした。
庄原から久保、松江から飯島、安来から香西、奥出雲から倉重
岡山から柴田、倉敷から鶴田、久代。地元では黒崎、三島親子
、菊さん、ふみさん、はるみさん、愛子さん、等.....。
普段猫の子一匹いない雪国。天空の山里もこの日はにぎやかで
した。
11日夕方かまたき終了。
湿度の高い環境はやはり割り木の乾燥には不向きで思い切り焼
くことは出来ませんでした。
皆さん有難う御座いました。かまたきにしか顔を見せない人も
それぞれが楽しんで戴きましたね。
また次のかまたきもたのしくやりましょう。
無論今度は春風でしっかりかわかして...。
2012. 03. 09  
DSCF0020.jpg
本日火入れ
これより11日昼頃までかまたきです。
割り木は最悪の環境のなかで5ヶ月乾燥させました。あとは祈る
のみです。かまたきは毎回異なる条件のなかでしますがこのこと
もまた楽しい。
様々な想いがありますがこれを割り木とともに燃やす。やきもん
やとして今生きていることこの日があること心はずむときです
2012. 03. 08  
DSCF0013.jpg
DSCF0014.jpg
DSCF0016.jpg
井戸茶碗をいままでどのくらい作っただろう。
萩の或る窯元を訪ねて陶土を分けてもらって作ってこれのみの個展をした
其れ以来作ることは作っている。
しかしこれは良く出来たと思えるものは最近までない。
はずかしいはなしだけれど..。しかし数年前にようやく良い線が描ける様に
なった。
2012. 03. 07  
ル-シ-リ-さんの作品展を観たのはもうかなり前ですが以来
ずっと私の脳裏に焼き付いています。
彼女は英国で当時有名であったバ‐ナ‐ド.リ-チを訪ね弟子入り
を願ったが断られた。が、彼女ははめげずに独学でやきものを
造り形も色も彼女でなければ出来ない世界を築いていった。
やがて三宅一生との出逢いから日本での個展が実現した。
わたしは倉敷でリ-チと数回出逢っている。それだけにいくらか
彼の美意識は想像出来る。
リ-さんの作品は日本の伝統工芸とか民芸とか無関係な作品であ
り品格が在る。彼女の作品はなんともいえない美しい線そして色
も釉薬の研究を長年積み重ねた苦心のあとが読み取れる。
正直いって弟子入りを断られてよかったとわたしは思った、
当時わたしは自分を顧みて作品に美しい線が描けていないことを
はずかしく思った。
自分にはなにかよくわからないながら何か妙なこだわりが在る
それは自負といえば云えなくもない。それが自分を支えているこ
とは事実ではあった。若い頃からロクロに向かい技術において人
に負けていないといったこともその一つではある。
そのことは職人として生きるなら大切なものではある。
しかし自分のスタンスはそこではない。
り-さんの作品から多くのことを教えてもらいました。





2012. 03. 05  
3月4日朝から素焼きをしました。
昨年10月に山で伐採した丸太、割り木にしていますが年末
からずっと湿度75から85パ-セントの毎日、風が全くない
雪は2mから1.5mの環境のなかでどのていど乾燥している
のか不安ななかでの火入れでした。
10日の本焼ができるかどうかも木の乾燥具合が良ければ可
悪ければ不可。
予定していた夕方5時素焼き完了。
最悪の環境の中で割り木がかんそうしていることが確認出来
ました。
どうやら10日の窯焚き大丈夫のようです。
異常な無風状態、小鳥の声も無い時折聞こえるのはからすの
鳴き声あほうあほう
山も川も形は太古とそれほど変化していない、しかし、いま
目にする自然はたかだか40数年でかくじつに変化している。
山陽で松枯れが始まりいまこの山深い中国山地で年々枯れてい
いる。
松だけではない近年椎の木をはじめ野生どうぶつの食料が枯渇
している。
数千年らいやきものは豊かな自然のなかで営まれてきた。
焼き物にかぎらず自然環境のなかで物作りすることは楽ではない。
便利、簡単を求めるなら自然と距離をおけばいい。
わたしは好き好んでこの自然と向き合って仕事をしている。
わたしは自然からはなれた焼き物には興味はない。
自然相手の仕事はデ‐タ-の積み重ねではない。窯焚きはいつも前
と同じではない。イメ-ジのせかいだとおもっている。

2012. 03. 01  
DSCF0011.jpg
窯の焚き口で割り木があたる所でしか出来ない色です
やきものの智識の無かった十代のわたしをやきもんやに誘惑した
土味。マグマが描く複雑な模様は魅力があります。
かの吉川英治先生はことのほかお好きであったそうです。
わたしの窯ではいつも数点入れますが三回で一点しかとれません
本場の伊賀信楽では桃山時代に優品が出来ていますが無傷の作品
はすくないです。
2012. 03. 01  
DSCF0012.jpg
プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
メールフォーム

*上(別窓)のメールフォームが表示・動作しない場合はこちら

カレンダー
02 | 2012/03 | 04
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。