--. --. --  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2012. 04. 30  
焼きもんやとか鍛冶屋は炎の色でかなり正確に温度が読めます
ゼ-ゲル.コ-ンとか温度計等もあります。色魅と読んでいるぐい飲み
くらいなものをあらかじめセットしておいてこれを時々窯から引き出
してみたりもしますがやはり炎の色で判断するのがいいとおもいます
炎の色は赤から温度が上がるにしたがって白い色輝く白と変化します
普段何の変哲も無い窯が生もののように呼吸します。1300度位から
地面も振動します煙突の上に2mくらいの炎が上がりその炎のうえに
炎が生まれます。炎の先に花が咲いている様にみえます。
松割り木の窯は毎回そこにドラマがあって面白い。
無論窯だしも愉しみです。穴釜は窯の火を止めてさます時間が四昼夜
かかります。気持ちよく焼けた時なんかこの時間は待ちどうしい。
唐九郎先生も面白い話をされました。
「窯焚きが終わって冷める間に雪がふって次の日窯んとこに行ったら
えらい足跡がついとる。だれが窯のぞきにきたんか思うとったら自分
のだった無意識に夜中にいっとったわ」
唐九郎先生は色んな面白い話をされている。
ある雑誌の記者が先生は窯焚きには女性はお断りとか伺いましたが
それって女性差別ではありませんか。
「いや差別しとるわけでは無いんじゃ。こう窯焚きしとる所にあんた
みたいないな美人にこられると眼がうろうろして窯焚けんで困るちゅ
うこっちゃ」なんてのはおらのお気に入りのはなしでんな-







スポンサーサイト
2012. 04. 29  
DSCF0027.jpg
伊賀の作品は窯の焚き口割り木が当たる場所でないと出来ない。
このような作品は毎窯出来ませんが..。
伊賀の七度焼き、何回も窯に入れて焼くなんてのも骨董屋の売らん
かなの口上。
伊賀はビ-ドロが正面にながれ、おきに埋もれた所に焦げがあり
土はだは白と緋色といったような模様が特色です。
何度も窯に入れると緋色が消えます。
1330度以上のマグマのいたずらかな-
2012. 04. 27  
私がまだ若造だった頃、当時倉敷で窯もって間のない頃に
岡山の医者が備前の土で茶碗創ったのをおらの窯で焼いて
くれといって持って来た。それは無理ですと断ると
「なんでやわしはいままであちこちの窯で焼いとる。それ
ぞれ面白いもんが出来とるお前んとこでも試してみたい」
無理をいわんで下さい。この窯は1330度上がる窯ですから
備前の土は焼けません。
「なんでやわしは備前の窯元で1400度で焼いてもらっとる。
お前んとこの窯でどうとかなるわけがない」
どう説明しても後に引かない責任は取りませんよ。というこ
とで窯に入れた。それも一番温度のひくいところに。
窯だしの日にやってきた彼の前でさやから取り出そうと蓋を
開けたが茶碗は無惨にも牛のうんこの固まりとなっていた。
かの医者先生かんかんにおこりちらして帰った。その後で
云うわいうわオラの悪口さんざんいいふらされた。其れ以来
人の作品やくことをことわってきた。にがいおもいでがあり
ます。
当時私は辰砂、青磁を焼いていましたから最高1330度だっ
た。この温度は謳い文句とちがい正確なものでした。
そう辰砂青磁は此れくらいの温度でないときれいな色が出
ません。さらにわたしの天目は1355度で焼いています。
この地に窯を築いてかれこれ七年になりますが。数回この
温度で焼いています。五月の窯もこれを目指します。
体力との勝負になります。想いとうり上がれば...。
天目、志乃、伊賀、辰砂の新しい作品が産まれます。さて..。







2012. 04. 27  
陶土が焼き物になる温度は750度あたりです。土に含まれて
いる珪石がアルハ-からベ‐タ-に変化するのがこのあたりで
す。解りやすく云えば砂糖が飴に変わるによく似ています。
焼けているかどうかは水に浸しても元に戻らないとすれば珪
石が変化しています。砂糖が飴になっていると同じです。
このあたりの焼き物は素焼きと云いますこの素焼きに釉薬を
掛けるのですが土の性質によってはこの素焼きをしないで乾
いた時点で釉薬を掛けることも出来ます。
850度あたりまでだと形は原型のままですからこの素焼きは
目一杯隙間無く詰めて焼けます。このあたりの温度の器はか
っては縄文土器あたりに遡ります。人類が焼き物を始めた時
代まで。
突然こんな話もちだしたんは色んなやきもん視て来たであろう
と思われる人が案外その器が焼かれた温度に無関心なひとが多
いのでちょっくら話します。
お茶人の好みで云われるのに一楽二萩三唐津といった言い方が
あります。楽800度くらい萩1180から1230度くらい唐津129
0度から1300度くらいです。こうしてみるとお茶人は焼きもん
の温度の低いのがお好みといったことになりますかな-。
さて伊賀信楽は1330度から1400度と高温度。備前は1270度
が限界です。備前の焼きもんや中には1400。1500なんてふざ
けた温度を平気で云う者が居ますだまされないようにね











2012. 04. 25  
光陰矢の如し、最近地球の回転はやくなったんかな-そんなわけも
ないか..。季節の移ろいを視ていて思うのは円を描きながら動いて
居る様に思える。
時代の変化も同じで螺旋を描いているように思える。或る人が「な
つかしい未来」と言ったが面白いいいかただとおもう「新しい」を
常に念がけて作品を造っていますが焼き物の素材は数千年来変わっ
ていない。人の用から離れてもいない。舞の海さんが相撲の解説で
面白いことをいっておられた「相撲は様式美を尊重しているから相
撲であってこれをとれば単なるけんかだ」と。
器はそれを使う「用」を無視すればもはや器とは言えない。無論観
賞することも用のうちです。
新しいがなつかしい。使い古された素材であってもそこに新しい息吹
を吹き込む、みずみずしい作品を造っていきたいと思っています
辰は移ろいはやりすたりもあります。伝統工芸といっていながら小手
さきをひけらかす作品が目立ちます。伝統とは何かを今一度考えなけ
ればならない。看板と中身が違う。作品を使う側の立場を無視した作
品あんなのがいまの時代うけるんかなあ
そもそも伝統工芸展を立ち上げるとかで伊勢崎満さんがわたしんちに
きて入ってほしいと言ったが断った。数十年を経過していま
わたしが断った理由がはっきりしているように思えます。


2012. 04. 23  
物を造りそれに値段を付けて買って戴く。
それで生活が成り立つ人間を世間では一応プロということになる。
長いといえば長い自分のことを省みてどうもこの定義にあてはまって
いないと思います。自分が造った作品に値段をつけることは物を造る
より難しい。ただわたしは自分なりの基準を持っています。その基準
で値段を決めています。
古来作品は100年の時を経てその真価が解ると言われています。
栄枯盛衰は人の世の常。マスコミなんかに取り上げられるとか美術年
鑑で言う所の値段なんかはいってみれば本当の値段と思っていません
今人間国宝であろうが100年後はどうか。
人の作品も私はおなじように観ています。
もう故人となられましたが尺八の演奏家横山勝也先生が在るとき
「杉原さんの仕事はいいね-作品が残る私の仕事は消えものだからね-
レコ-ド、C.Dとかいってみても生とはちがう」
さ-どうでしょうどちらが良いか一概に言えないと思います。作品が
残るということは良いと思える反面恥ものこります。
「そうか駄作を残せば死後までそれが残ることになるね」
はい良心が問われます。「このところテレビなんかで焼きもん屋が品
ものを壊しているのをよく見るが」
あれは単なるパホ-マンスですよわたしも壊しますがその事自体恥ず
かしいことと思っています誰も観ていない所でこっそりします
「ぼくなんか舞台でこの演奏壊してもう一回やれたらな-とおもうと
きがしばしばあってね-」
わたしはそんな先生にとても魅力を感じていますが
「恥も演奏とともに消える..かそう思うとどっちがいいともいえない
か」はいわたしも同じ様に思います。
ただ年々作品の数が少なくなっていきます。壊す数がやたら多くな
って年はくっても未熟者です。



2012. 04. 21  
5月12日土曜日夜窯焚きをします
割り木も乾いて今度こそ想いっきり焼けると思います
前回の窯で天目が温度不足とはいえいい感じの色が見えています
再度窯に入れて焼きます
いつものように大勢集まってにぎやかにやりたいとおもいます

2012. 04. 20  
一高の寮歌、嗚呼玉杯に花受けて...なんて歌、この季節に
ふと思い出します。
こないだこの歌のこと調べてみたらどうやらこの歌詞庶民
と自分たちとは心意気が違うのだといいたかったわけでそ
れを表現するために玉杯を持ち出したに過ぎないようだ。
それはともかく焼き物のことを「玉の如し」と表現してい
る漢詩はかなり見受けられる。
砧青磁の名で知られる器はまさに玉そのものと言える。
鶏血石と名の付く石がある。わたしは此れを印材にしたの
を観たことがあります。透明な中に赤い模様があって美し
いものでした。これなんかは玉の中でも極上のものです。
焼き物の赤い色を表現するのに中国では鶏血紅、牛血紅、
また火炎紅、桃花紅等とわりあいリアルに表現しています
日本では辰砂でかたずけていますが辰砂は本来水銀の色に
付けられた名ですがね。
この紅あるいは辰砂の色は古来難しいと言われています。
前にも書きましたが難しいのでなくやっかいなだけです。
玉のような器に美酒を満たしているところに花びらが舞い
その花とともに口にする。これはこの季節ならではの贅沢
一度やってみてはいかが、お薦めします。







2012. 04. 15  
美しい白磁は高貴な人の骨でないと出来ない。と聴きました:ん-ん
骨董屋さんにいくとらちもない物をいかに高く売りつけるかが彼らの
目的、あることないことのたまっておられます。
辰砂の色が赤いのは処女の血を入れないと出来ない。青磁は翡翠を使
って出来る。なんてことを私もよく聴かされてきましたいやいや。
こんなまやかしのたわごとけっこう信じている人がいるんかなあ、
まあおらには関係ないし店にいくことも最近は無い。
ところがこんな話をこのところまたまた聴かされて驚いています。

敗戦後自宅に風呂がなかった頃銭湯にいっていた時代、「君の名は」
とかの放送が夕方在り女湯はこの時間帯からっぽだったラジオの時代
の語りぐさ。
やがてテレビが始まり力道山で抑圧されている主婦たちのストレスの
はけ口になっていたようだ。
当時私は丹波立杭にいたが近所のおばさんたちはこの時間帯に成ると
集まってきて「やれ、ぶんなぐれ、たたきのめせ」
ふだんのときにはみせないあるまじきやじを飛ばしておられあそばして
今、御年配の人気はどうやらお宝拝見のようですなあ
これってどこか力道山に似ていると追うのはおらだけかなあ
あの中で言う値段本気にしている人けっこういるんだねえ
これにもびっくらこいてます。
そもそも骨董品扱う人が言う値段を本気にする事自体おかしい。
あれはショウ、みせもんなんです。外人にやられた日本人にすれば
その外人を番組の最後の数分間でたたきのめす、水戸黄門の印籠よろ
しく。日本人の足の裏をくすぐる。ねたばれ番組。とはいえ冒頭のよ
うな台詞を本気にしている人が今もおおいんだなあ。
値段もものの善し悪しも人任せ造るもんは手任せ人任せ
平和ぼけでんなあ。んっぽんちゃちゃちゃ

2012. 04. 13  
やれ打つなはえが手をする足をする 一茶
今朝今年初めてはえに出逢いましたパソコンの画面にたかって
います。20度位がかれらの活躍の季節とか聴きました
そういえばゴキブリくんの姿長いこと観てない、そうなんです
どうやら彼らにはここは棲みつらい環境のようですなあ。
かなりまえになりますが倉敷のSさんが神戸で絶品のラ-メンを
喰わす店に案内してくれた。
まつことしばしカウンタ-に並べたどんぶりでゴキブリくん遊び
だした。
これを見たSさんおおあわてで
「おやじゴキブリがはっているどんぶりかえてくれ」
かのおやじ
「お客さんあんたはゴキブリもたべんようなもんくうとるん
か、うちにはあいにくそんな食いもんよう出さんいんでくれ」
ときた。
Sさんおこるかとおもいきや、いやおやじ悪かったすまん
帰りますかと私にいう。倉敷からわざわざきてしっぽ巻いて
帰れますか「おらゴキブリとおなじもん喰うてますが」
かのおやじぷ-とふきだした「くうてくれまっか」ときた
Sさん共々上手いラ-メンにありつけました
ん-でおらゴキブリが好きかといえばきらいですペットにした
いともおもいません。がね。
それはさておき上海で仕事している甥の招待で日本の商社の
ひとと北京ダックを食べにいきました。
商社の人は三人それに甥と私が店にいくとものすごい人でし
た。一時間位待たされましたが料理は最高でした。特にス‐プ
はがらを煮つめたものでこれを口にした一同皆が
「これでラ-メン喰いたい」とさけびました。
ラ-メンの善し悪しはス-プで決まるのかなと思っています
新庄に居た頃本田という男とある会合の帰りに入った店で
出されたラ-メン一口たべて曰く
「おばさんちょっと訪ねたいんだけどこのラ-メンの作り方
教えてほしいんだけど」
店のおばさんけげんな顔してどうしてか聴きたい様子
「これほどまずいラ-メン喰うたことがない天然記念物だなこれ」
むろんおらも食べずに店をでました
最近若者のこだわりの店が増えていますがお客の好みは多様で
難しいだろうなあ






2012. 04. 08  
雪国であれば降る量もはんぱではない。
わたしがここえ来て6月で7年になるが昨年とこの冬は昭和38
年の伝説の大雪と同じ位降っている。彼岸も過ぎてその雪とも
さよなら、かと思いきや降るわ降るわこのところ毎日。
とはいえさすが春の淡雪積もりはしない。
こんな環境であれば割り木の置き場を考えないといけない。
年末から3月の彼岸の間気持ちが悪いほど風がなかった。湿度
は毎日85から90パ-セント、これで乾けという方が無理。
丸太を割り木にして5,6か月で通常なら乾燥しますが....。
まあいろいろありの山暮らしでんな。
雪に埋もれていればねこ一匹こない窯場も彼岸が過ぎれば人が
訪ねてきます。
米子にお住まいの栃さん夫婦久しぶりに来られました。
我が家に上がるなり先日久保さんがつばつけて帰ったぐい飲み
「此れください」ときた。う-んそれ久保さんが予約していま
すから他のにして下さい。
「いえこれどうしてもほしいんです」今度の窯でまたつくりま
すから。
「久保さん悪い人ですわたしの気に入った作品かうなんて」
今度窯焚きに遊びにきてその悪い久保さんに逢ったらいかが
「来ますぜひ来させて下さい」
作った私が気に入り久保さんがとちさんが気に入りといった
作品、絵に描いたような普遍美を持ったぐい飲みいやいや
たのしいですなあ

2012. 04. 06  
私は自分の住む家にテレビがない。だからテレビに浸かって
居る人の会話にはたまについていけないときもある:
このところよく聞く話題にお宝拝見とかいう番組のことを取
りあげての会話が目立ちます。「テレビがああいっていた」
テレビが云わん世界は世の中に存在しない。といわんばかり
に物を云う人も居ていささかうんざりしています。
個展の会場に来てまで「これテレビだといくらするんか」
とぬけぬけぬかす。まあこんなのは年配の人しか居ませんが
ね。若い人の口からは一度も聴いていないのがオラに取って
の救い。
日本料理の老舗がこともあろうに人の食べ残しをたらい回し
していたとかもテレビいっていたなあ
「もしもしいまテレビで話題になっていますなんとか商品を
特別価格で提供いたします....」
うちにテレビないんでしらんなあ
「えっテレビないんですかおたくどんな生活なさってんです
か」いらん世話よテレビ買うかねも無いしあんたとこの商品
かうかねもないね「ガチャン...つ-つ-つ-」
民族の誇り高い風習はもはや我が国からはやまと撫子と共に
絶滅したんかなあ

ものを作るにあたってわたしはいつもイメ‐ジをふくらませる
たとえば物を言うときそれは誰に対してなのかを考えて言う
に似ている。わたしは自分の作品にメッセ-ジを込めている。
気配りもその一つです。
人は器といいます。その逆もありでしょう。作りながら試し
試しては作る。物作りにとっての歓びはこれを使う人に喜ん
で戴くに尽きます。ものつくりも長年やっていれば当然慣れ
ます。そこから先はその人の器量が試されるとおもいます
かって有名な陶芸家は「ろくろはてまかせ絵はふでまかせ」
といった言葉をわたしは若い頃聴きました。自分もあの年代
になればそういった心境になるんかなあと思っていましたが
いまのわたしは異なります。
美しい線を描くことは惰性からは産まれない空間に存在して
いる線をイメ-ジし、これを形にする。産みの苦しみが新しい
作品にチャレンジするエネルギ-と思っている













  






2012. 04. 03  
乱世は天が地上をかきまぜるようにも思えます。
とかく大きな災害が起こります。天災も人災も起こります。
平家滅亡以後「あわれ、わび、さび」などを表現した文化
が起こります。お茶などはもともと上流階級のなかで様式
化され、これを受け継ぐ利休をはじめ辰の文化人たちによ
って詫び茶が確立します。
使われる道具としての茶碗も青磁から高麗の井戸茶碗へや
がていらほ、柿のへたと変遷します。
わたしは以前から気になっていることがあります。お茶の
様式は珠光にはじまりその弟子の利休が詫び茶の様式を完
成させたとされていますが利休はカトリックのミサに触れて
いなかっただろうかということです。
当時信長に仕えていた彼が信長が奨励したキリシタンのお
こなう儀式をみたはずとおもう。
であればかの様式を参考にしたのではないか、そう思うの
はわたしの考え過ぎだろうか。
文化、芸術が新しい方向に向かうとき異文化の影響を受けて
変化することから思うとあながち的外れともおもえない気が
しています。
また織部のオブゼも同じく異文化の影響をうけているとおもう
とりわけ注目しなければ成らないのはそれまで茶碗が舶来の物
に変わって楽焼きが登場ています
戦乱に明け暮れていた時代のなかで文化も芸術も新しい時代に
向かって動いている。
今という時代もやはりあわれ、わびしい、さみしい。中に生き
ている。そのような時代にやきものの未来を思うと平和ぼけの
なかで権威ずけられた小手先をひけらかす作品は消えて無くな
るしかないですな。
こういった作品に未来は無い。わたしはそう思っているます。
とはいえいまだにこのたぐいがのさばっていることも事実です
がまあほっとけば自然消滅します。
金の亡者にかつがれた神輿の先はあわれですな。
みせかけの中身の無いものは古い時代とともに消滅します。
天はいかなる時代であれ常に人が良き時代に向かうことを願っ
ている。信善美に生きることが天と通じる生様だと思います
そのように生きる人のお役に立つ作品普遍美の作品を一点でも
多くつくりたいなあ


プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
メールフォーム

*上(別窓)のメールフォームが表示・動作しない場合はこちら

カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
カウンター

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。