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2012. 05. 31  
ギリシャ神話にこんなのがあります
天上界で神々が集まり人間共の目にあまる様にがまんでき
ない。かれらに罰を加えようではないかということになっ
た。ゼウスは彼らの訴えに対して次のような注文をつけた
「みなさんの言われることは尤もだ。彼らから希望だけは
取り上げないでほしい、其れ以外であればいかなる罰も認
めよう」
これより後人間は生きる上で多くの苦難を背負って生きな
ければならなくなった。しかしゼウスのおかげで様々な困
難があっても希望をもっているかぎり耐えることができる
実はこの希望をとりあげなかった事自体があらゆる罰の中
で最も厳しい罰であったわけ

人は常に未来に向かう。物を造るということはそこに意味が
ある。いかに優れた作品であろうとこれを真似てみても、そ
れは芸術ではないただ、過去の優れた作品の美の世界を学ぶ
ことは大事だと思うそれは新しい美を産むうえで。
「すぎはらさん刀の世界は死の世界です」あるときこういっ
た。それは今にして想えばうなずける。
かっての名作の刃紋を描いてまねているにすぎない。
後ろ向きの世界だ古名刀をしのぐ気概はもはやないと言うい
みだとおもいます。
東京で彼は数名の人物をわたしに紹介してくれた。中でも川
端照孝、斉藤大助さんたちとはかなり長い年月おつきあいさ
せて戴きました。川相さんとはあの死の世界という彼の言葉
を訊いてまもなく疎遠になりました。
わたしは過去に生きるつもりはない自分が求める美の世界は
未来にある。曜変も同じでその美の世界はわたしなりに学び
再現にも努力してはきた。しかしいまわたしには未来しか無






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2012. 05. 29  
曜変、油滴、兔毫は同じ釉薬であることも1335度以上の
高温で焼いていること等これまでに書いてきました
ここにわたしとは異なる方法も書いてみます。
まず黒い色の出る釉薬を掛けて1280から1300度あたりで
焼きます。これに上絵の具で模様を描き700度あたりで模
様を焼き付けます低い温度で様々な色を出すやりかたは中
国の明王朝の磁器。清王朝の七宝等イスラムの寺院等の
タイルに使うラスタ-彩等あってこれらの組み合わせにより
多様な色は得られます
かって大名物なり絹万疋なりといわれた現在国宝のあるい
は重文に指定されている作品が同じやりかたであったとい
う者もいます。
造る者もこれを求める者もそれでいいならいいしおらがと
やかく言うつもりもない。

曜変とは何か。これもすでに書きました繰り返す必要はな
いと思います。
刃物に付け焼き刃というのがあります。かって入道に古刀
と新刀の違いを訪ねた「付け焼き刃よ」と言われた。
そういえば年に一度現代刀の審査会が東京でありますがあ
れ何を審査するのかと訊くと
「おえかきよ。刃紋の」おえかきね-地金の善し悪しはない
んで
「地金は安来産でみな同じ審査のしようがない」
試し切りは
「なし。切れる切れないも対象外」はあ-。大和なでしこも
大和魂も絶滅。となりはてたか。


2012. 05. 28  
DSCF0034.jpg
近くの築100年を越す茅葺きのいえが壊された
梁を二本もらって割り木に...。
2012. 05. 28  
世が乱れるということを憂う必要はない
民はダイナミックになれる。そういった空気は物造りをす
る上で面白い。ただ、辰の権力に媚びている人達にすれば
えらいこっちゃであろう。

「曜変はドブ板を渡っていない。天下人の手から手に移っ
ている。特別な焼きもんや。これを日本人の手えで造るこ
とを夢みているんや。わしはもう体力がなくなった。
あとはあんたにまかすわたのんだで」
長江惣吉さんの私への遺言である。
曜変は中国の名も無い民のてによって産まれている。
これが我が国に渡って天下人の所有になる。
長江さんは三越でようへん天目茶碗の個展をしている。
当時売値は800万円で20数点完売だったといっておられた
わたしが彼に逢ったときに
「あんたにはなんでも話すと前置きののちわしなああんた
にやってほしんや」
心意は何かをここでおはなしする。
彼も含めて曜変を目指す人達はおえかきという小細工をし
ている。いま現在権威が神輿かついでいる男も同じ手法の
延長にすぎない。
ところがわたしは彼らとは違う自然鋼を素材にしている。
彼らは鉄のみでは出来ないと見切って他の金属で試みてい
る。このことにうしろめたい想いを抱いていた。
ただ、NHKとか三越といった権威の神輿に乗ると後に引け
なくなる。
「日本人の手で」と彼が私にいった意味はかれも小細工で
ない鉄の素材の追求がしたかったしかしすでに余裕が無い

さて鉄と言ってみてもわたし以外にも天目を試みる人達が
そうであったように曜変の色は出ない、
無論わたしも小細工を思わないわけではなかったがこれは
誘惑である。青江の素材に可能性を託すしか私にはない。

やがて川相さんに誘われて東京に向かうことになった

2012. 05. 25  
月に三回位哲多町通いしていたある日入道に紹介された
「本阿弥の当代から免許を受けている鑑定家」とかで井原
出身の川相さんという。
さっそく出逢ったその日から酒のみながら刀の話になる。
「南北朝あたりまでの優れたものを古名刀といいます」
「国宝重文の九割は青江、備前、山城です」
備中青江の特徴が知りたいのですが
「まず古名刀の特徴から話しましょう。折れず曲がらず刃
こぼれせず、しかも刀身は美しい。なかでも青江は最高だ
と思っています。地金は青みがあり澄みとよばれる模様が
視えます」
備前の地金は黒で青江は黒に青みがある。それは水質と間
係がありますな。特に澄みは曜変、油滴の優品に視られる
惺紋と関係があるようにおもえる。おら古青江の素材がほ
しい、
「といってももはや手に入らない。藤本さんにはなんとか
ならないかと来るたびにいってますが」
古青江再現ですか、可能性はいかに。
「うんまあそのうちなんとかなる。わしの頭ではすでに出来
とる」
「なら早く造ってくださいよ。完品でなくともいいから」
「見当はついとる。辰がくればできる」
このような会話が交わされる中で世が明けるころには一升瓶
が5本くらい空になる。
中国で曜変天目が造られ日本で名刀が産まれた年代がほぼ同
じ辰、妙にこの点が気になる。

わたしは学者ではない金もないゆえに資料といえるほどのも
のを持ち合わせていない、想像のなかであれこれかんがえて
みるしかない。
南宋末から元にかけて中国で生まれた名品、曜変、兔毫、滴
珠。これら天目は星という意味を持つ。
水滸伝を思わずにはいられない。乱世に咲いた花、とも言え
る。
2012. 05. 24  
若さとばかさを思い知らされての数年、やがて現存する天目
の優品と出逢う。これを造ってみたい、との想いはエスカレ
-トしていった。やがて五年、十年、と年月は過ぎても作品
は出来ない。この当時、がれきにした数は数十万位、やがて
さすがのどあほうも力つき焼きもんやめようと決めた。
まったく異なる生き方を模索する。不思議なことだが焼きも
んから離れようとすればするほど反対にやらなければならな
い方向に物事は動く。夢にもなやまされた。毎晩毎晩ねむる
とやきもんやってる自分を視る。なぜ...。
このあたりから多少運命のようなものを感じ始めたと思う
やがて気がつくとまたまたやきもん屋に引き戻された。
藤本入道との出逢いもこの時期である。友人のつてで色んな
国の鉄を試すが成果は無い。万策尽きたなかでのであいであ
った。
私は鉄にこだわっていた鉄にこそ全ての色が内在している
そういった想いから日本刀にたどりついた。入道はまた青江
再現に情熱を燃やしていた。
青江とは何か。ここに登場するのが先日電話してきた川相で
あった。
2012. 05. 23  
すでにこの テ-マは以前書いています。
ここで改めてお話しようと想うのはこれの再現を目指して
いる人達、あるいはそれを望む人達がかなりおられる。
あるいは似て非なるものをもって曜変再現と云うやからも
います。彼らのことを批判がましく言う気はありません。
ただわたしは天目茶碗に夢を抱き40数年これに関わって
きました。その間の自分の想いがうつろい変化したさまを
お話したいと思います。
倉敷にある羽島焼の窯元、故小河原虎吉の所に弟子入りを
志願したのは15才の時でした。
まずここで民芸というものがあることを知らされました。
柳井、濱田、河井、リ-チ、といった人達のひきいる民芸
運動が盛んでこれを応援していた大原総一郎クラレ社長。
民芸館館長外村吉之介といった人達が時折窯にきていまし
た。来る人たちのほとんどが口にする民芸とは何か、解ら
ないまま数年が過ぎたある日、思い切って訪ねました
おじさん民芸とは何
「民芸かあれは方便よ」
この応えにとまどいました。いわば自分がやりたい仕事
ではない。と私には聞こえました。
酒津焼の職人であった彼が大原社長の支援を得て独立し
民芸愛好家に好かれる作品を造り生活していた。
たとえ想いが他にあったとしても民芸の傘下に居なければ
喰えない環境にあった。心意はわからない、しかし、私に
は自由に生きろと進めてくれたようにおもう。
二十歳過ぎて今後のことを相談しても「わしの後をやれと
は言ってくれなかった。
独立して窯元になりたい。といってみても資金が無い。
職人としてなら仕事はいくらでもあった。しかし、当時
戦争孤児同然の自分に資金などあるはずもない






2012. 05. 20  
曜変天目茶碗に出逢ったのは私が25才の時でした。以来
今日に至るまでこの作品のことを想わない日は一日もない。
一昨年秋救急車で病院に運ばれ意識を失いかけて自分の
命もこれまでかと想うなかでまだやり残している。そう考
えていると意識が戻りその日の夕方帰宅しました。
命が尽きかけたなかで天目に出逢って幸せであったと想う
一方でまだやり残していることがある。そう想った時点で
天は私を娑婆に返してくれた。

いまわたくし73才ですから長いといえば長い年月でしたが
これに取り組んだ動機は不純そのものでした。ところがい
つの間にかあり得ない出来事出逢いに遭遇するなかで自分
はこれを成し遂げるために活かされている。そういった
おもいが年々強くなっています。
生と死のはざまに立って考えたことそれは新しい曜変の美
の追求です。

これから数回にわたって曜変天目とは何かわたしのおもいを
語ります。多少へりくつがましいかもしれませんががまん
しておつきあい下さい。
実は先日、20数年間音信のなかった人から電話がありました
「どう、元気」なんとか生きてますが
「うわ.なつかしい。ところで曜変出来たあ」
出来てますよ
「うわあ観たい」
てな会話を交わしまして今日彼に会うことにしています。
2012. 05. 14  
13日9時頃かまたき終了しました
今回は1345度まで上がりました。良い作品が誕生すると思います
窯だしは17日の午後からを予定しています。
前回温度がたりないまでも美しい紺色が視えている天目を再度入れ
ています。新しい曜変天目が出来るとおもいます。
今回は松江の飯島、安来から香西、地元の古都、加納、黒崎といっ
た人達でした。窯焚き終了後に米子の栃さん夫婦が来られて2時間
位楽しい会話をしました。お二人のゆめがかなうお手伝い微力です
がしたいと思っています。
現状がどうあれ常にゆめをもって一歩ずつ前に向かうことがとても
大切だと思います。
そのような生き方をしていれば良い出逢いが生まれますね。
天は人類が良き方向に向かうことを望んでいます。
その想いを自分の想いとすれば天と繋がります。

2012. 05. 10  
昨日から窯詰め作業に入りました。
今回の窯の温度設定は平均1335度です。割り木が乾燥不足のため
前回前々回と目的の温度に至りませんでした。今回は春先からの風
が強く吹いていてさすがに乾燥しているようです。
先月工房の軒先に小鳥が巣を作り毎日そう-と観察していましたが
或る日カラスが来てオジャンになりました。
そういえばツバメの団体さん今年は見かけません。どうしたんかな-
とてもきになっています。去年まで200羽くらいきていたのに今年は
みかけません。
今日、明日と窯詰めの作業です。明日の夜中に火が入りいよいよ12日
には窯焚きです。
今回たよりにしている久保さん田んぼの作業でいそがしいようで..。
良い返事もらっていません。久保さんや-ーい。
会員のおばあちゃん達も年々身体が弱り愚痴の数がふえていますな-
ともあれ猫の手も借りて楽しく窯焚きしましょう。
2012. 05. 07  
焼き物の温度は素材となる陶土によって決めます
日本には六古窯と呼ばれる窯場には豊富に陶土があったわけでそれを
生かしている。前にもはなしたように焼いて器が変形したりあるいは
温度が低すぎても困ります。そこそこやっかいであってもなんとか形
が造れるなら陶土と云えます。形になってもどの位の温度で焼けば良
いか。その土が一番良い状態で焼ける耐火度を知ることは大切です。
土には食べ物と同じ様に味があります土味を生かすことは温度と同じ
ように大切だと思います。
温度の高い焼きもんが良いとも云えず低いのがだめとも云えません。
土味を生かした焼き物は器が美しいし使うほど味わいが増します。
滋味と云える食べ物に久しく出逢っていない。しみじみとした味わい
ある料理、器は心に染みます。物作りである私にとっていつも心がけ
ているんですが現実欠点ばかり目立ってなかなかむつかしいもんでん
な。とはいえそのような作品を望むとすれば大切なことがいくつかあ
ります。まず自分自身。平常心でありたい。
心が乱れると良い作品は出来ません。だいたい乱されるのは人間関係
禅宗のお坊さんみたいにはなれないまでも来る者はこばまず去る者は
追わず。だいたいはい、とごめんなさい。でいいんではないでしょう
か。
想いも大切だと思います。造る側のかってなんてのが最近目立ちます
大きな組織団体の展覧会で見かける作品。そんなんだれがつかうねん

やはり使う人のことを考えていないといけないとおもいます。それと
土が要求する声に謙虚に耳をかたむける。自然に向かって活かされて
いることの意味を考えることも大事だと思います。おいおいなんかど
こかの悟ったしたり顔の坊主の説教に煮て来たぞい。なんてやじが飛
んできそうでんな。
はい。正解で-す。このところ道元さんのことがしきりにおもわ
れまして。いささか抹香くさくなっておりまして、はい。
足るを知れ。といわれても実は困るんですがね。みんなが悟ってしま
うとおら喰うていかれんようになる。ま、小さい文字それはないか。




プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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