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2013. 09. 29  
事前に電話で連絡をしてはいたもののくわしいことはいってなかった
岡山からおいでになると伺い備前焼とおもっていましたが..。
天目とは以外です。
上田社長との出逢い、いきさつは以前ここで述べたと思います
重複をさけて大切な要点のみここに書きます

杉原さん美術品の評価はあるていど作品がなければ値段は付けられ
ません。わたしはこの作品すばらしいとおもいますが数がないと。
わかりました。この作品が産まれるまでは大変でしたが今回の窯で
ぼんやりとはいえ掴めて来ました近いうちに10点くらい持参出来る
と思いますが。
いやあそうして頂くと値段も付けられます。
そのときは私もこのひとは、と思う人達に声をかけて鑑定会を開き
ましょう。これほどの作品私一人ではむりです。

上田社長と逢って以後私は総社市の窯場を引き払い新庄村に窯場を移
築。ところがその場所は湧き水の豊富な土地でなかなか窯の温度が上
がらない。風景は自然に囲まれていて申し分のない理想の桃源郷と思
ったんだけど今にして思うと窯場としては最悪の場所でした。
悪戦苦闘の数年後、数点これならと思える作品が出来、早速上田氏に
電話入れました。
ところがすでに彼はこの世の人ではありませんでした。






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2013. 09. 24  
これからお話しする天目ですが曜変、油滴、兔毫に的をしぼってお
かないと..。
建盞の名で知られているこれらの作品も優品はほとんど日本に在り
ます。
最近になって曜変の再現をめざす人がけっこう増えていますが、私
はこういった人達とは考え方もやりかたも違っています。
わたしが天目の優品と出逢ったのは20代半ばのころでした。
心動かされた優品は建盞でした。
当時自分が生きようと思う焼き物に このようなすごい世界がある
んだ。この美に感動し、それを自分の作品で表現したい。模様のコ
ピ-を求めていません。
いま一つ、曜変、油滴、兔毫は釉薬自体同じですが浮き上がる模様は
炎によって、温度によって変化します。
現状では曜変は一つの段階に到達したのみですが、これからかっての
建盞が持つ美の世界と同じ立ち位置にたって新しい曜変の世界に踏み
だすことをめざしています。
ですから再現は通過点であって目的ではないんです
天目の黒い色はF.Eなんですがこれのみでは求める色が出ない
人工的にあれこれ金属をまぜてみたり、一度1300度くらいで
焼いた黒いうつわにラスタ-彩なんかを絵付けして700度位で焼いて
曜変再現なんてのがはやっていますが私は興味ないですね。

先生に私どもの精華大学の学生達の指導をお願い出来ませんか
卒業して活躍している若者たちも集めて研修会をやっています
これの費用は政府が出します。講師としてお越し頂けませんか
いますぐというわけにはいきませんが機会があれば..。

此の旅のきっかけは15年位に遡る。
当時総社市に窯をもっていた私の工房に周先生がおいでになった
そのとき私は天目があるレベルに達したらあなたの国に贈呈しま
す。と、約束をしていました。
平成元年一椀の曜変が生まれた。これを評価してもらうにあたっ
て当時日本一の目利きと多くの人が認めていた人物。銀座に画廊
をもっておられた上田社長を訪ねる。



2013. 09. 21  
西洋では焼き物の器は芸術と認めないといった考えの人が多い。そ
れとは違う意味で我が民族は芸術の定義を厳密に考えない風潮から
か曜変は偶然出来たなんて..。それを所有している美術館の学芸員が
言ったりしています。
曜変が日本に入って間もない頃此れを観た識者は 世上にない美を
持つ。との評価をしていますが、このことと偶然とは意味が違いま
す。
鉄釉の歴史は宋時代より前の周時代が源流と思われます。とすれば
鉄釉が出来て2000年の辰を経て宋末の頃曜変が出来たことになりま
す。北宋の官窯に観られる皇帝の器も神器と言われていますが、宋
の時代に産まれた美術品はまさに古典であり焼き物が到達した頂点
ともいえます。
私達の民族に不幸な時代も在り、個性ある陶芸が影を潜めています
このままではいけないと思って私達は美術学校を創設しました。
学生達に学んでほしいことはあなたと同じで宋窯が中心です。
宋窯は古典であり普遍の美があります。学べばそこから新たな世界
を見いだすことも出来ます。
ところで燃料は何を使っておられますか
松割り木を使っています。窯は穴窯です。なにもかも古い時代の
ままでロクロも電気は使いません、
それはすばらしい
天目茶碗は建盞の土があればいいんですが私の場合無理でして
私達は天目はそれでないとだめだと思っています。ここに持参
した茶碗も建盞の土です。わたしたちはこの作者に曜変を期待して
いますがあなたの意見はどうですか。
根本の所が異なりますからなんとも言えません。















2013. 09. 20  
夕方ささやかな歓迎会をして頂きました
翌日張 守智、呂 暁庄精華大学美術学院教授 毛増印中国陶磁協
会技師、周 宏興 北京人文大学校長 これらの先生たちと昼食を
はさんで約四時間話し合った。

わたしが今回持参した天目茶碗の説明から始まる
この天目に使用した鉄は古代の遺跡から出土した鋼を使っています
建盞の優品が造られた南宋末期、日本では平安、鎌倉時代頃になり
ますが、優れた剣が造られています。
天目の釉に使う鉄を試験するなかでこの剣の素材に的をしぼりまし
た。
これは酸化炎ですね。
はいそうです。
われわれは現在油滴に関してはある結果をえています。
曜変はこれからですが、持参しましたのでおみせします。
これはよくできていますね。そうとう強い還元で焼いていますが..。
この作者は熱心に研究していまして私達がいちばん期待しています
特にこの作者は油滴班は結晶ではなく液状現象によって出来る。
このような考えで研究をすすめています。
なるほど。
現在曜変は完成していませんがこの方向で曜変を考えていますが
あなたはどうおもわれますか。
結晶か液状かはさておき先生達の祖先が宋の時代、建窯で造った曜
変、油滴、兔毫の優れた作品には共通の深淵な世界、幽玄の美があ
ります。曜変は偶然の産物とする考えがありますが私はこの考えに
同意出来ません。
曜変、油滴、兔毫全て人為。芸術作品と思っています。
それからいまひとつ重要なことはこれらは釉薬そのものは同じです






2013. 09. 19  
北京人文大学校長、周宏興先生が私の工房にこられて15年経過した
2004年正月中国に発った。
此の旅の目的は周先生との約束を果たすにあった。
上海の空港には甥の萬肇祥が迎えてくれくれた。彼は台湾人で私の
姉の長男、上海には仕事で二年前から事務所を持っている。
一週間上海に滞在する間彼の世話になる。
上海にいるあいだほとんど昼間上海博物館に通った。
この博物館の青銅器の収蔵は世界一と聴いている。事実見事である
焼き物では釉裏紅、木の葉天目、砧青磁、均窯の辰砂。等の優品が
ある。
北京の周先生との打ち合わせの日、北京に向う。空港には周先生
長男の天紅さん、それに私が北京滞在中車の運転をしてくれる白さ
んたちが迎えて下さった。




2013. 09. 18  
鑑定証書
日本の陶芸家杉原大路先生は、中国の宗の時代福建省にあった建窯
で焼いた天目茶碗の優品に出逢いこれに特別の感心をもたれた
この作品は釉薬を施す陶芸を人類が造り始めてより今日に至るまで
の間で最も幽玄な奥深さと雅美に満ちた神器とさえいわれている焼 
き物である
この美への挑戦を決意され、試験を繰り返された。
四十数年の間百折不倒の努力を重ね数十万個の失敗にも挫けず
いまここに原料である陶土釉薬、炎の調整、温度のこと等に加えて
必要な技術全てを解明。また杉原先生の心血、知恵、才能により
曜変天目、油滴天目、兔毫天目茶碗の精品の再現成功されました。
此れ等の作品は太陽の光を受けることにより様々に色は変化し虹色
の輝きが浮かぶ優品である。
千年近く封印された美を我々は今、再度観ることになった
ここに杉原先生の芸術に最大限の満足をするとともに、世人にこの
事を明らかにするものである。
このことは陶芸史上巨大な貢献であり功績である。

北京故宮美術院館長 中国国家美術鑑定家協会会長
国際美術館協会アジア太平洋地区主席
                  呂 斉民 他五名
2004年12月18日

2013. 09. 11  
酒蔵の後考古館に案内されました
高橋先生の弟さんがここの主任であれこれ出土品を見せて頂きまし
た。
この間の調査で掘り出した壷ですが李朝ではないかと思えますが
いかがでしょう。
そうですね、いろが黄色がかっていますがこれは炎の加減でこうし
た色になりますが明らかに李朝ですね。
この前からだいたい千年前後の遺跡の調査をしていますがつぎつぎ
新しい発見があります。
約4000位の人口のまちでこの考古館を維持しているんですか。
ここだけではありません。学校なんかも国からの補助金は一切な
しでやっています。
なぜですか。
気風です。大昔からの..。

そういえば上杉鷹山がこの場所にくる道中で炭火の入った手あぶり
を自分が乗るかごに差し入れてもらったとき感動してこの土地に住
む人達のために自分に何が出来るかを考えやがて絹織物の産業の基
礎をつくられた有名な物語がある。
数千年にわたってこの土地に棲む人達が誇りにしている気風、
さりげなくさらりと言われわたしは感動しました。

夕刻案内して頂いた温泉宿、ど-んと半端でない茅葺きの建物。
しかも三棟が並んで建つ風情におったまげたおら、なななんと
すごい、この真ん中にある建物に案内して頂きました。
外からの建物の風格もさることながら湯殿がまたすごい。
渡り廊下のむこうは滝、そして滝壺が湯船。もうことばはない
いろりのある部屋でここの主と盞をかたむけながら話は雪国の
貧しかった時代に私どもの先祖が殿様に訴訟をしまして..。
そのときの書き付けをみせてもらった。

数年後この建物が焼失したとはニュ-スでまた高橋先生からも伺
いました。
形あるものは滅す。一期一会、心に残る米沢の旅でした。





2013. 09. 09  
今から25年位前に、縁があって山形大学の教授をされていた工学
博士の高橋先生のご案内を頂いて米沢に二日間滞在しました。
先生のお宅は林泉寺という所でそこから川沿いにしばらく行くと
この川の西側は川西というところです。
この川では伊達政宗が幼いおり遊ばれたとか
さて川西には古い酒蔵があります。まずそこにご案内します。
酒蔵ですか。出来たら夕方のほうが..。朝からってのはどうも
はははお酒とは違う目的がありましてね。
なんでしよう。
さあ着きましたどうぞ。
この家のご隠居と想われる品のよい女性が迎えてくださいました。
案内されるままある建物の中に入り驚きました。なんと中国、朝鮮
等の白磁青磁が文字どうり山と積まれていました。
私の主人は変わっていましてね。
昭和十四年の競売にいきましてこれらの品物を競り落としました。
あとで訊きますと大原さん達ほとんどの人は茶陶に注目されてい
たようです。ところが主人は美術陶に興味があってこれらを競り
おとしたようです。でもこの建物にはもう三度泥棒が入りまして
良いものはあまり残っていません。
普段は立ち入り禁止にしていますが特別に....。
案内していただいたところは別棟の二階の部屋。
この部屋に入るなりおら不覚にも声が出ました。なんと秘め谷の
赤絵の皿が十まい並んでいる。
岡山からおいでと伺い特別にお目にかけようとおもい出しておきま
した。本来息子がいましたら先生といろんな話が。特に秘め谷焼の
ことなんか。ただいま東京に行ってますもので...。
この赤絵の皿はほんのり黄色の地に描かれています。
秘め谷の初期の作品です。
今は亡き当主の秘蔵の品であったわけです。

2013. 09. 07  
姫谷焼がいつ頃始まったかなんてことは解っていない
そもそも姫谷は秘め谷が本来の名であった。この名の示すように
隠れ郷として存在していた。そうしなければならない理由の一つ
は中国からこの地に棲んだ陶もの師たちのことを考えない訳にい
かない。
通説として秘め谷のことを述べているものはだれかと訪ねてみれば
かの桂又三郎なる名前がちらほら出てくる。
彼の批判になるがあえて言えばこの人物は備前焼きが専門で釉薬の
仕事に関してはほとんど解っていない。三文評論家である。
ここらあたりがあれこれ言ったとか言わなかったとか。物ごとの
真実はエセ評論家のいう処とは別に存在している。
真実はなにも解っていない。
豊蔵先生達が志野焼の調査をされたが肝心なところは今後に待つし
かない。といっておられた。
たかだか千年に満たない遺跡でも相当な費用と人員を集めて調査し
ても肝心なこと知りたいことは解らないということだ。
いわんや素人まがいの連中がろくに調査もしていない秘め谷の事実
を知っているわけがない。
志野も秘め谷もいずれ明らかにされるときがくると想います。

今の時点では肝心なことは解っていないが、私個人の想いから言え
ば我が国の陶芸史の輝点だと想っています。







2013. 09. 02  
おろ神、おろち。なんかは口伝のいいまわしの名残りとあります。
恐ろしい、おぞましい、こわい、恐れ多い。これに地をはうとなれ
ばへびが連想されるが必ずしもそうではなさそうです。
地震、雷、火事、おやじ。なんてのはほんの一昔まえのおろであっ
たといえます。
奥深い山の中で観たことも無い炎が空中に吹き上がる様は見るから
におそろしい光景です。
打刃物とか長石釉を掛けた焼き物を焼くとなれば1300度以上の高
温度が必要となります。
普段見慣れている炎とはまるで別物のおそろしい炎が炉から吹き上
がるとなるとおそろしいはずです。

いずれかの藤本入道に登場願ってこのあたりの面白い話をくわしく
したいとおもいますが、いまは姫谷と志のの焼き物の話。

荒川豊蔵先生達の発掘調査でいわゆる瀬戸の焼き物とは異なる長石
釉の焼き物にタケノコの鉄絵が描かれた陶片の発見等がありかって
の志のの焼き物に光が当てられたのはつい最近のこと四、五十年前
むろんおらがこれに加わったわけではないから詳しいことは知らな
いが一つ言えることは李朝の影響はいなめない。と言われています
姫谷ですがこの窯で焼かれた赤絵は美しい。加えて青磁もまた
素晴らしいのがあります。さて志のも姫谷もともに中国あるいは朝
鮮の最先端の技術が我が国に入りそれまでになかった新しい作品が
造られていました。
姫谷の青磁は南宋末頃に観られるオリ-ブ色であり、赤絵は万歴あた
りに観られる鮮明な色です。












2013. 09. 01  
古から言われているんですが [陶をもって政を知る] という言葉
があります。
いってみれば人と焼き物のかかわりは太古の昔からあった。
焼き物は人が織りなす歴史をあるがまま物語ってきた。
わたしが志のという焼き物に興味をもったきっかけは唐九郎先生
である。ただ、若い頃お目にかかったときやらんかと言われた
んだけど自分にはやりたいもんがあった。志のの焼きもんろくに
勉強もしてなかった。まそれは先生におまかせしときました。

のちになって長石釉をあれこれやってみるなかで次第にその深い
味わいに魅せられるようになって今にいたっていますが..。

想うんだけどおらにはず-とあの姫谷の焼き物のことが気になっ
てしかたがない。
ブログ書くために座ってキ-ボ-ドを前にして、今もそうなんです
が志ののことを書きながら実は頭の片隅で姫谷の事を考えています
なにがといえば年代のことです。
お偉い先生方が調べてこの時代としているものをはいそうですか
と素直にいえない性格のおらにしてみると納得出来ない。
おらがいいたいのはこの焼き物が造られた年代言われているより
古い。そう思えて、そのことがずっと気になって。

文字以外に人の歴史を語って来た口伝がありますがこれらの
伝えには辰の政権にとって都合の悪いことも多々あるようです
しかしこのほうがむしろあるがままの出来事を伝えているとも
いえますなあ。
特に外来の文化はそこに土着するまでに紆余曲折があり、ときには
争いもありしながら年月を経るなかで彼らも同族となるんだけど
しかしながら、わだかまりは案外根深いものがあり尾を引いて
なかには今日までも存在しています。
表に出したくない事実は抹殺され、ときにはゆがめられてもいる。

唐突な言い方で恐縮なんだけど
姫谷と志のは共通する何かがあるように想えて仕方が無い。
というかそう想う様になって志のにのめりこみかけているんです。


プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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