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2015. 06. 29  
此の所梅雨のの真っ盛り
空気もひんやりしていて昼過ぎ迄湿った霞に覆われています
このところこんな日が多い
江戸時代なんかでであれば此の時期に降る雨はことの外大切
に思われていたようですなあ
万石を潤すなんて言葉が残っています
おらの棲む此の場所は、鳥取県となっていますが、思うに
やはりここは出雲だとおもいます
沸き立つ雲が、霞たなびいて霧雨に煙る様は神、下り立つ場所に思
えます

こないだいつも買い物に行く横田の町から帰りに鳥髪というばしょ
にいきました
県道から脇道にはいると釣りをしている人を見かけました
う-んここだとよく釣れるだろうなあ。そんな思いがなんとなくしま
した
其の脇にかんな流しをかって行われていた場所と思われる所を少し
入ると二棟おうちがみえました
そこの家のおかみさんらしい人としばらく立ち話しました
おたずねしますがここで砂鉄を採集しているとうかがいましたが
それはもう大分まえのことで今はやっていません
やはりこの作業によって河が汚れ、下流いきに住んでいたひとたち
から苦情があったんでしょうなあ
そうらしいですよ公害は太古の昔からあったときいてます

かってスサノウさんが天下ったと云われている鳥髪という場所
ここは買い物帰りに寄る所ではない
日を改めてゆっくりこなければならないすごい場所でした
改めて参ります。その日は後ろ髪ひかれながら帰りました。はい
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2015. 06. 28  
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一夜明けて今朝は
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2015. 06. 26  
15年我が家に白い毛並みのねこがいました
名前ははな、気位の高いコでした
来た当初は片手に乗る位でした
仕事着の中でよく寝ていました
時折首を出してふなやあ
目の色が昼間はブル-、夜はルビ-でした
たなに並べてある私の作品の間をすいすいと歩くんですが
一度もこれを壊した事が無かった
彼女はもぐら取の名人でした
あ、そういえば一度マムシにやられましたが約半月で治しました
或る雪の降りしきる夜中にプイと出て行ったきり帰りませんでした

こないだから窯のまわりでうろうろしているぶち猫にえさ
やっているんですがのらはだめですなあ
むろん家にはいれませんが
真っ黒のが時折きますがこいつとは友達か、うん-彼氏か
仲良くえさ食べて...。
昨日えさやろうと手を出したところ、爪でしゃんとやられました
かなりの出血、う-いたい
くそう
そんなわけで十数年前に亡くなった彼女のことがなぜか思い出さ
まして..はい
2015. 06. 20  
父親の名前が抹殺されている..。
たしかおらが棲んでいる国は法治国家だと今迄思っていたんだけ
ど違うんですかね-
知らなかった放置国家だったんですね。
いやあ驚きました。
     戸籍謄本
戸籍事項
  戸籍の改製
改製日平成14年12月21日
改製事由平成6年法務省令第51号付則第1項による改製

普段謄本なんて滅多に必要でない。余程のことがないと取り寄せない
今回は父親の、といっても既に死亡はしているとはいえ
おらに無断で勝手に謄本から抹殺するな
ゆるせん

個人情報保護法はあっても大切な情報を本人に無断で抹殺するとは


2015. 06. 16  
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もう50年になりますか曜変天目の作品にであって...。
といってもそれらの作品は中国で生まれたものであった
以来半世紀の年月、此れの美を求めての旅がはじまった。其の旅は
800数十年の過去の美への憧れではない、まして復元なんかでは
なかった。
現世を超えた美の世界であった。しかし、これをなそうとする自分
自身は生身であり、その素材も現世の産物である。
いま一つ私が求めた美の世界は一様ではない、無限の世界である。
この美の世界に始めて入ったと実感したのは平成元年であった
以来二十数年の時が経ってその色も刻々と変化ししながら今に至っ
ている。
2015. 06. 12  
ともあれなんとか形になる
そんな状態のことを曲がりなりと表現しますが
昨日から今回注文頂いた茶器の作品造りはじめました
前回書きましたがロクロに触れることに不安があり、数ものを造る
ことができないまま半年が過ぎました
その間、今日こそは、と思いながら工房にいくんだけど、想いだけ
ではどうしようもないんですなあ。
土に触れるまでに至らない、空しく帰りごろん。
夜も昼もよくこれほど寝るもんだと我ながら感心の日々。

そんな中で子供の頃、5才くらいだったろうか父親に肩車されて自宅
から映画館に通ったこと
白菜の漬け物をご飯に巻いて口に入れてもらったおり
いやだあのりが食べたいといって困らせた事
映画館の入り口に切符を渡す小さな窓のそばにいたこと
映写機のそばであそんでいて時々父親に抱かれてまんがをみたこと
戦地に逝くちょっと前のある日これは焼夷弾なんだといって実物を
見せてくれたこと
呉はあぶないから岡山にゆくんだ

走馬灯のように父親が戦地に向う前の日々がめくるめく想いださ
れる
数年前に読売新聞の九州に在籍の記者からの知らせでアメリカの資料
に松本正夫の名前があることを知らされる
父は海軍の兵士として呉から戦地にむかったはず
しかし、父の手から離れたオラは岡山で空襲にあいその後倉敷へ

今此の年になってもう一度父の消息を訪ねたい。
そのことは自分の父のことを子供達にいっておかなければならない
裸足のげんの生きざまであった自分にとって己のことにかまけて
子達にはっきりいってこなかった事実を語らなければ成らないとき
がきたようにおもう

昨日久しぶりに本当に久しぶりにろくろに座り茶器造りを始めまし
たキウスを20ばかり、まがりなりになんとかなるんか。
ならんのか...。




2015. 06. 07  
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古い木臼
先月始め頃山から出した丸太、割り木にしたいと思いながら思う様
に仕事がはかどらない。
こないだ安来の宇畑さん、古味さん、菊さん達で。
昨日は宇畑さんと廣島のバイク乗りたち。
今日は菊さん、上田さん、岸さん、行宗さん。
やっとこさでやりました。
おつかれさまでした
9月あたりの窯焚きに間に合います有難う御座いました
色んな人達に助けられて有り難いです
プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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