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2015. 09. 29  
使って育つ
土の器。無論土を形にしただけでは用の役にはたたない。
利休が長次郎と云う瓦師に楽焼きを薦めた記述が残って
いるが、黒楽で900度。赤楽は800度位で焼いた器であっ
た。
700度あたりで陶土が焼き物になる。土偶とか土器等と呼
ばれる焼き物はこのあたりの温度。
いってみれば粘土が焼き物に変化する温度なんです。

はれものに触るという表現があるんだけど。このあたりの
焼き物を扱うには慎重にしないといけない。
カラフルな上絵付けの器なんかも同じで指輪ははずしてあ
つかう様にしたい。
上絵付けの焼き物は改めて話すとして、楽焼きと呼ばれる
焼き物、萩焼、唐津、朝鮮の李朝等は使う間に、焼き上が
りの時には観られない変化が現れる。

以前大阪にある東洋陶磁美術館に展示している徳利、のこと
に触れましたが、100年近く使い込んでいくなかで味わい深
い色が浮かぶ。
焼き上がった作品が年月を経て、100年、200年先にどのよ
うに変化し、どんな味を出すか、そんなんまで見越して作品
の善し悪しが見分けられる。日本人はすごい、日本ちゃちゃ
ちゃ。

利休以後侘びちゃが今日に至迄日本人の美意識として..。
ん、あるいは日本人の深奥に受け継がれているように思うん
だけど。此れはオラの思い過ごしだろうか、
とは言え、家具なんかを数100年大切にし、そこに現れる味
わい深い色を自慢にする民族は日本人にかぎらない。


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2015. 09. 28  
たかだか千年
祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。ご存知平家物語
平家が滅亡した後になおも人心穏やかでない年月が続く。
無常、詫び、寂び、の思いを日常とするなかで生まれた思想
文学、芸術は時をへて今なお色濃く残っており、日本人の美
意識の原点ともいえないだろうか。

中国の宋時代に焼き物が玉あるいはそれ以上の美の極限と思
われる青白磁、青磁、釉裏紅、辰砂、天目等の高温度の作品
が生まれたし、朝鮮では高麗青磁も造られている。
これらの美しい焼き物が我が日本に時を移さず上陸している。

極限迄高められた珠玉の焼き物は一部王侯貴族の世界で歓ばれ
たが、当然民衆の器とはなれなかった。
そのようななか日本で茶道が起こり、やがて詫び寂びの美意識
が確立する。
詫び茶の器が求められるなかで高麗からやがて李朝へ、そして
我が国でも同じ長石釉の焼き物が造られるようになる。
萩、唐津、志の等が詫び茶の世界で用いられるに至る。

無常、哀れ、そして能に観られる幽玄。
あしたに紅顔、夕べに白骨。
夏草やつわものどもが夢の後DSCF0006.jpg
DSCF0007.jpg


志のの器に描く絵の具は鉄サビが似合う。とはいえそこには
カラフルな色はない。がゆえに織部の焼き物と同じ様に時に
目立ついろではない。
しかしさびの色は深い

2015. 09. 26  
鉄絵志の
志のといえば無地で、ふんわり感の白い焼き物。
おらが丹波の市野弘之師の工房にいたおり、時折かれの晩酌
に付き合わされたが、普段彼が愛用していたのはエビ徳利と
自作のぐい飲み。
徳利は古丹波とまではいかない江戸中期の作ですでに好い味が
出ていた。そんな取り合わせだったんだけどいきなり志乃のぐ
いのみが登場した
そのぐい飲みに酒を注ぎながらこれは新人の作なんだ、おまえは
どう思うか、ときた。
なんの変哲も無い白い色の器。お世辞にも好いとは思えない。
ま、丹波の泥臭いぐい飲みよりかいくらかましか。
くらいに返事したと思う。
志のとの出逢いはこのときがはじめてであった
唐九郎先生のことは無論名前すら存知あげていなかった頃のこ
と、やがておらが丹波立杭の窯をあとにして倉敷にいたころ、
荒川豊蔵さんが人間国宝になる。引き出し黒なんかで名前はお聞
きしていたんだけどお目にかかったことはない。
鈴木蔵、加藤卓夫といった人達の作品を拝見してきた。が今一
ものたりない思いが後味として残った。
志乃を目指した人達の作品それぞれ決して悪くない。がなにかしら、
突き抜けていない。こじんまりしては居るんだけれど....。
唐九郎志のに観られる桃山の古陶、あるいは織部の世界には届
いていない。
茶碗は云うまでもないが抹茶の器であ道具。
利休がそこに作法を取り入れ形式を完成させた。
これを守り伝承することがお茶の世界で重要である。
しかしながら、利休の弟子であった織部はその形式に留まるこ
とから起こる惰性を見抜く。ひょうげものを師である利休に
いかが。
と聴く。利休は織部のいう美意識を理解し彼の云う芸術を評価し
て居る。お茶という形式がいかに素晴らしい物であったとして
もいずれ時がたてば形骸化する。
利休は織部に語っている。
お茶がマンネリに陥るようなことがあってはならない..。と
このことは形式を完成させた利休自身がやがて形骸化すること
を予見していたとおもえる。

織部の美意識の中に普遍の美を認めたのではないだろうか。
茶碗はお茶を喫する道具に納まらないオブゼ、無限の可能性を
もつ。
このような美意識を織部が生きた時代から数百年を超えて現代
によみがえらせたのが唐九郎志のだと思う。

前に掲載した鼠しのは赤土、三島土で化粧して描いているが
鬼板と呼ばれる鉄サビは、風化した山土の鉄分のおおい処を
探しだし、これに鉄のさびを加えたものを絵の具として使う
この色も長石釉次第で色は変化する。DSCF0001.jpg
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2015. 09. 21  
鼠志のDSCF0025.jpg
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民族によって異なる呼び名がありますが..。
たとえば私が云う三島土なんだけど此れの応用で多様なやき
ものができる。
源土は石の混ざった赤土なんだけど、この土は化粧土として
つかわれている。
のみならず白に近い土に少し混ぜて使うばあいもあるし、灰
をまぜて使う等用途は多い土なんですが気にいった土にめぐ
りあえない。
倉敷市酒津は少年時代過ごした所なんだけど、この山にはかな
り豊富にあってこの土で作物を作ると一味ちがうといわれてい
た。
鼠志のはあまり好きになれない色なんだけど今回掲載している
茶碗はいい感じに焼けています
長石釉との兼ね合いにもよりますし、無論焼くおんどなんかも
影響します。
わたしの場合かなり高い温度で焼きますが..。

今住んでいる所の真向かいにオロチが寝そべっているような山
がありますが、夜明け前から明るくなる間うっすらと靄がたな
びいて行く様がすきなんですがこの有様を彷彿とさせられる鼠
志のはお気に入りの色です
べたっとしたいろではない、そこには空気とともに動きが或る

2015. 09. 20  
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此所に掲載している作品は数日前に窯だしした志の茶碗で
です。
茶碗はお茶を喫する道具との概念から逸脱して、オブゼと
捉えての試み..。

かなり以前英国の陶芸家、ル-シ-リイの作品に触れた時、
なんとも形容しがたい柔らかく、しかも凛とした美しい
作品に圧倒させられた。
彼女はかの有名なバ‐ナ-ド、リ-チにあこがれ、弟子を希望
したんだけどことわられたそうだ。
晩年三宅一生さんとの出会いから個展が東京で開催された

わたしは志の茶碗を造るにあたって、加藤唐九郎先生はも
もちろんル-シ-リイのことが頭をよぎる。
そのことは、まねをすると云った意味ではない、なんなん
だろう。








2015. 09. 19  
平成になって間もなく東京銀座で画廊を経営しておられた
上田さんに天目を観て頂くことになった。
そのときの出逢いについてはここですでにかいていますの
で省略しますが、実をいうと其の上田さんに逢って間もな
く加藤唐九郎先生に御逢いしている
志の茶碗やってみんかと云って頂いた
先生が生きておいでの間はやめときます。わっはそうか...。
この出逢いでわたしは唐九郎先生が大好きになりました
自分はまだ天目に魅力があったんで志乃に心が向いていなか
った。
でも、いつの日か必ずやってみたいと心に秘めてはいた。
しかし、唐九郎志のはますます素晴らしい芸術の世界に邁進
して大往生をされた。

わたしは曜変天目を追い求めていくなかでやりきれない空し
に曹禺する事に成る。
曜変のレプリカの登場である。
このようなものがまかり通る世の中にいやけがさしてきた。
不純な動機かもしれないんだけど、無性に志乃がやりたくな
った。
とはいえこの世界には桃山時代を稜がした唐九郎がいる。
まねごとはやれるかも知れないが自分の志のをやれなければ
いみがない。
有り難い事に今回この地で出逢った三島土が私を助けてくれ
た。この三島土によって生まれた新しい鼠志のは、桃山でも
ない、唐九郎でもない新しい志のの誕生といえる。
また鬼板もこれまでのものには観られない美が浮かぶ。
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2015. 09. 17  
オロチ
こないだ中山康直さんが縄文の縄目模様は大麻をつかってい
た、といっておられた。
いま一つ縄文時代は10万年の間人間が今の様に争っていなか
た、とも。
大麻はすばらしい作物で衣食住に欠かせないものであった...。

縄文の時代をこのようにはっきり語る人がいる。
うれしくなりますね。
かって中国で造られた曜変天目に出逢いこれを自分の手で造る
と決めた時、曜変を語ることそのものがタブ-だった。
大麻はアメリカの国策によって禁じられた。
曜変は別に禁じられては居なかったがなぜかものすごい圧力で
おまえごときが語るはおこがましい...。
当時焼き物にかかわる人間の冷たい視線にさらされた。
しかし、曜変の毒をのんだわたしの感動と決意はかわらないで
いた。
曜変といった化け者と対峙すると必ず迷いがうまれる。
曜変の釉薬の材料は鉄なんだけど、ともすれば鉄それじたに何
らかのものを加えたくなる。
これにはまるとやがて本末転倒となる。

北京で精華芸術大学の張校長と対談したとき彼は美しい天目
は建窯の土を使わない限り出来ない。
建窯の土はかなり鉄分の多い土でこのような土に上薬をかけ
て天目は出来る。
わたしは自分が造る曜変は日本の土でやる。そのためには建
窯の土でない三島土でこれまでやってきた。
がこれも前にのべたように、手にはいらなくなった
面白いなと想うのは自分の手で始めて曜変天目に成功したの
は昭和から平成へと時代が変わったときだった。
其の時までに使っていた鋼は飛鳥時代に加工したとされるも
のであったが、失敗の積み重ねで手持ちがなくなっていた。
オロチに招かれてこの地でさてっ、とおもったときには
それまであった三島土がもう無くなっていた。
これらの出来事を想うと不思議だなあと想えてならない

これまでの三島土とここの山で採集したものとは別物と
いえる。
鼠志ので試したが美しい色が浮かぶ
まだ天目には使っていないんだけど、どんな未来が描けるん
だろうか。オロチの手のうちにまかせてみるしかない..。



2015. 09. 17  
昨日窯だししました
今回の窯は内容が普通ではありませんでしたから
う-んう-んと考えているなかで何時窯だしするかも
きめれないで...。
火曜日の昼過ぎ松江の飯島姉御から電話が入りました
水曜日の午後窯だしの手伝いにいきます。いかがでしょう
うう-んそれはいいんだけど全然だめかもしれないし
えっ何がですか。香西さん松浦さんもいきますが..。
たぶん焼けてないと想うしそんなんだと来てもらっても
きのどくだしなあ
そんなにひどいんですか
ひどいかもしれないしそうでないかもしれないし
永い事この仕事やってきたけどこんな状態はじめてなんで
ともあれいきます。だめもとで。

そして次の日の2時から窯だし
其の作品今日写真に掲載します

2015. 09. 15  
縄文文明
縄文時代とくればおおよそ文化も文明もない野蛮な生活をして
いた人間がいた。
其れ以前と成れば猿であった。なんてのがおらたちが学校で教
えられたおはなし。
身にまとう衣服も祖末、たべものは木の実なんかでそこには文
字もない。今の時代で想像出来る最も貧しい愚か者が存在して
いた...。

こんな造り話をいまだに信じている人達がいるんだ。
義務教育なんてのがあっておらみたいな勉強のきらいな者にも
中学卒業まで縛られた。
焼きもん屋になって10年位たって曜変天目に出逢いこれを生涯
のユメとして鉄の勉強を始めた。
そして出逢ったのが刀匠藤本昭入道であった
彼に導かれて日本の古代製鉄を学びながら天目の研究に..。
こんな流れの中で当時考えられない出逢いがかさなっていく
ある日入道から電話をもらった。
こないだうちの田んぼから土器が数点でて来たんだがどうやら
縄文のようだ。その同じ場所に製鉄の炉、それとけらも出ている
みにこんか。
おっとり刀で現場にかけつけ、鋼をもらって帰った。
其の鋼はいまも20キロ位手元にある。
後日入道と酒酌み交わしながら古代製鉄に関して貴重な話を聴
きながら自分の想いも話した。
こないだもらった鋼は曜変の材料として此れ以上望めない素晴ら
しいものだと想うんだけど自分の技術不足でどうもいま一つなん
だけど。
おまえさんそういうけど既に出来ているよ
材料の色が全て出ていない、これでは...。
ははは、雰囲気がつかめればいいだけよ。
雰囲気か..。う-ん
縄文の鋼との出逢い、其れ自体すごい出来事であった。加えて入
道の指摘、今想うと共にものすごいであいであった。
こうした出逢いから20年近い歳月のなかなんの因果かいまの処
に窯を築くことになった
そしてもはや幻と成っている三島土と出逢うことになった。
数十年御世話になっている陶芸の材料を扱う会社の社長に十数年
前に三島土がもう手に入らない。そう聴いてあきらめていた代物。
なんと近くの山にありました。
かって入道が
米子に行く途中、観た事があった。
...。
ん、これのことか...。
この土は焼き物の材料として貴重な土。
此の所数回窯で試験していますが結果は予想を上回って素晴らしい

本気で陶芸に生きるきになったのは曜変天目との出逢いがあってか
らでそれまではいまいち、当時はやりの民芸もすんなり受け入れる
気にもなれないし、芸術家を目指す才ももっていないし..。
自分が燃える者がなかった。
とはいえ曜変をやろうと決心したのはいいがそれは地獄の世界とも
想える苦しいものであった。
これに没頭したんでやれました。なんてかっこいいものではなく
むしろこれの重圧におしつぶされてのたうちまわる歳月であった
逃れたいやめたい、むしろそんなことばかり考えていたようにも
おもえる。
心筋梗塞に二度襲われ死に直面したときやっと解ったことは自分
は過去の中に生きるんではない、未来のために活かされている。
三島土はそのために天が用意してあったんだ...。
曜変天目という、とほうもない化け物にとりつかれて、一攫千金
の夢を考えたことも、やがて目的を達成してしまうと空しさが残
る。

中国で生まれた数点の曜変の美の世界から抜け出て自分は人間の
未来のために新しい曜変の美の世界を描くことを天は望んで
いる。
いかに素晴らしい藝術であれ過去の物まねでは意味が無い
病を透視て過去から未来に天は私を導いてくださった
空即是色色即是空

2015. 09. 10  
なつかしい、とくれば未来ではなく過去でなければ変。
ではなぜ、あえて未来なのかそのことは読んで頂いていくなか
で、あっ、そういうことかとお分かり頂きたい。

最近、ペットボトルなんかでお茶を飲んでいる光景を色んな場所
で見かけます。かく言う自分も時に飲む事が或る。
車なんかで移動している時なんかで仕方なく、
しかし、これは仕方なくなんであっておおよそおいしいはずはな
い。
お茶が美味しく飲める器はやきものにかぎります。
中でも抹茶とくればなおさらそうありたい。

ウイ-ンに少し縁があって数回個展をかねて訪ね、いろんな勉強し
た中で焼き物の器、或は塗り物も含めて、芸術とは認めない。
私なんかは異文化の中で器がどのように観られているのか、あまり
感心も無かったんだけど、好い勉強になりました。

茶陶。なんて言葉があるようにお茶と焼き物。そこには歴史があ
り尽きない妙味がある。これを語るだけでも分厚い本が出来ます。

白熱の炎で焼かれた器は正に玉と云える。このような器で飲食する
文化を持つ日本民族は世界に類を見ない高い文化を持つ民族といえ
る。
そのような歴史をもった私達の先祖の美意識は単に日本に留まっ
ていない。アジアを網羅し、シルクロ-ドの果てまでも観ている。
このような壮大なロマンを想うと焼き物に生きてきた人生がうれ
しい。
無論これから書いてみたい事柄は焼きもん屋の独り言、独断あり
偏見ありの代物です。
あまり詮索せんで、楽しんで戴ければうれしい、ふふふ位でね。
さてっと今日は最後の窯詰め作業で-す
いろんな人達の協力を頂いてここまでこれました。
ありがたし
2015. 09. 09  
想いはかなり以前からあったんだけど、どんなタイトルで始め
るか..。
あれこれ考えてみたんだけど、なかなかきまらないままでいたん
だけど
炎の旅、懐かしき未来へ
これでいこうと決めました
構想が先にあってもこれに合う題名が決まらないでいました
昨日娘から電話もらって少し話していくなかで少しうれしい
気分になれて、決めることにしました
夕べ中山康直さんが美しい緑の星という映画の解説されたんだ
けど中身がとても深い内容がありました
すでに造られて20年の歳月が経っているんだけど今という時代
でなければ意味が伝わらない、そんな内容ってすごい
特に140才を超えて生きる人が今地球に生身で生きているとも。
私が今所有している縄文の玉鋼のことは誰も信じてもらえない事
だと思い何も語っていないがもしかしてそのことを語れる時代に
なったのかなあ。
んであればやはり話さなおえん
新しい未来も好いけれど、懐かしい未来も面白うござんす
てなわけでお題も頂いていよいよ発車オ-ライ
12日から始まる窯焚きの準備も最終段階にはいり今日あたりで
かま詰めもほぼ終わります
なにせ爆弾抱えている身、無理の無いようにゆとりをとって
日にちを決めていました
焰燃ゆ、おらも燃えて...。
2015. 09. 01  

本日早朝素焼の火を入れました
素焼用の小さい窯ありますが今回は修復したばかりの窯で
素焼です
これの温度は800度くらいです
それでもゆっくりやきあげたほうがいいんで9時間位はかけ
ます
釉薬を掛ける作品の場合と焼き締めの場合とは基本的に異な
ります
素焼をするのは施釉が必要な場合やります


プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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