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2015.
09.
15
縄文文明
縄文時代とくればおおよそ文化も文明もない野蛮な生活をして
いた人間がいた。
其れ以前と成れば猿であった。なんてのがおらたちが学校で教
えられたおはなし。
身にまとう衣服も祖末、たべものは木の実なんかでそこには文
字もない。今の時代で想像出来る最も貧しい愚か者が存在して
いた...。
こんな造り話をいまだに信じている人達がいるんだ。
義務教育なんてのがあっておらみたいな勉強のきらいな者にも
中学卒業まで縛られた。
焼きもん屋になって10年位たって曜変天目に出逢いこれを生涯
のユメとして鉄の勉強を始めた。
そして出逢ったのが刀匠藤本昭入道であった
彼に導かれて日本の古代製鉄を学びながら天目の研究に..。
こんな流れの中で当時考えられない出逢いがかさなっていく
ある日入道から電話をもらった。
こないだうちの田んぼから土器が数点でて来たんだがどうやら
縄文のようだ。その同じ場所に製鉄の炉、それとけらも出ている
みにこんか。
おっとり刀で現場にかけつけ、鋼をもらって帰った。
其の鋼はいまも20キロ位手元にある。
後日入道と酒酌み交わしながら古代製鉄に関して貴重な話を聴
きながら自分の想いも話した。
こないだもらった鋼は曜変の材料として此れ以上望めない素晴ら
しいものだと想うんだけど自分の技術不足でどうもいま一つなん
だけど。
おまえさんそういうけど既に出来ているよ
材料の色が全て出ていない、これでは...。
ははは、雰囲気がつかめればいいだけよ。
雰囲気か..。う-ん
縄文の鋼との出逢い、其れ自体すごい出来事であった。加えて入
道の指摘、今想うと共にものすごいであいであった。
こうした出逢いから20年近い歳月のなかなんの因果かいまの処
に窯を築くことになった
そしてもはや幻と成っている三島土と出逢うことになった。
数十年御世話になっている陶芸の材料を扱う会社の社長に十数年
前に三島土がもう手に入らない。そう聴いてあきらめていた代物。
なんと近くの山にありました。
かって入道が
米子に行く途中、観た事があった。
...。
ん、これのことか...。
この土は焼き物の材料として貴重な土。
此の所数回窯で試験していますが結果は予想を上回って素晴らしい
本気で陶芸に生きるきになったのは曜変天目との出逢いがあってか
らでそれまではいまいち、当時はやりの民芸もすんなり受け入れる
気にもなれないし、芸術家を目指す才ももっていないし..。
自分が燃える者がなかった。
とはいえ曜変をやろうと決心したのはいいがそれは地獄の世界とも
想える苦しいものであった。
これに没頭したんでやれました。なんてかっこいいものではなく
むしろこれの重圧におしつぶされてのたうちまわる歳月であった
逃れたいやめたい、むしろそんなことばかり考えていたようにも
おもえる。
心筋梗塞に二度襲われ死に直面したときやっと解ったことは自分
は過去の中に生きるんではない、未来のために活かされている。
三島土はそのために天が用意してあったんだ...。
曜変天目という、とほうもない化け物にとりつかれて、一攫千金
の夢を考えたことも、やがて目的を達成してしまうと空しさが残
る。
中国で生まれた数点の曜変の美の世界から抜け出て自分は人間の
未来のために新しい曜変の美の世界を描くことを天は望んで
いる。
いかに素晴らしい藝術であれ過去の物まねでは意味が無い
病を透視て過去から未来に天は私を導いてくださった
空即是色色即是空
縄文時代とくればおおよそ文化も文明もない野蛮な生活をして
いた人間がいた。
其れ以前と成れば猿であった。なんてのがおらたちが学校で教
えられたおはなし。
身にまとう衣服も祖末、たべものは木の実なんかでそこには文
字もない。今の時代で想像出来る最も貧しい愚か者が存在して
いた...。
こんな造り話をいまだに信じている人達がいるんだ。
義務教育なんてのがあっておらみたいな勉強のきらいな者にも
中学卒業まで縛られた。
焼きもん屋になって10年位たって曜変天目に出逢いこれを生涯
のユメとして鉄の勉強を始めた。
そして出逢ったのが刀匠藤本昭入道であった
彼に導かれて日本の古代製鉄を学びながら天目の研究に..。
こんな流れの中で当時考えられない出逢いがかさなっていく
ある日入道から電話をもらった。
こないだうちの田んぼから土器が数点でて来たんだがどうやら
縄文のようだ。その同じ場所に製鉄の炉、それとけらも出ている
みにこんか。
おっとり刀で現場にかけつけ、鋼をもらって帰った。
其の鋼はいまも20キロ位手元にある。
後日入道と酒酌み交わしながら古代製鉄に関して貴重な話を聴
きながら自分の想いも話した。
こないだもらった鋼は曜変の材料として此れ以上望めない素晴ら
しいものだと想うんだけど自分の技術不足でどうもいま一つなん
だけど。
おまえさんそういうけど既に出来ているよ
材料の色が全て出ていない、これでは...。
ははは、雰囲気がつかめればいいだけよ。
雰囲気か..。う-ん
縄文の鋼との出逢い、其れ自体すごい出来事であった。加えて入
道の指摘、今想うと共にものすごいであいであった。
こうした出逢いから20年近い歳月のなかなんの因果かいまの処
に窯を築くことになった
そしてもはや幻と成っている三島土と出逢うことになった。
数十年御世話になっている陶芸の材料を扱う会社の社長に十数年
前に三島土がもう手に入らない。そう聴いてあきらめていた代物。
なんと近くの山にありました。
かって入道が
米子に行く途中、観た事があった。
...。
ん、これのことか...。
この土は焼き物の材料として貴重な土。
此の所数回窯で試験していますが結果は予想を上回って素晴らしい
本気で陶芸に生きるきになったのは曜変天目との出逢いがあってか
らでそれまではいまいち、当時はやりの民芸もすんなり受け入れる
気にもなれないし、芸術家を目指す才ももっていないし..。
自分が燃える者がなかった。
とはいえ曜変をやろうと決心したのはいいがそれは地獄の世界とも
想える苦しいものであった。
これに没頭したんでやれました。なんてかっこいいものではなく
むしろこれの重圧におしつぶされてのたうちまわる歳月であった
逃れたいやめたい、むしろそんなことばかり考えていたようにも
おもえる。
心筋梗塞に二度襲われ死に直面したときやっと解ったことは自分
は過去の中に生きるんではない、未来のために活かされている。
三島土はそのために天が用意してあったんだ...。
曜変天目という、とほうもない化け物にとりつかれて、一攫千金
の夢を考えたことも、やがて目的を達成してしまうと空しさが残
る。
中国で生まれた数点の曜変の美の世界から抜け出て自分は人間の
未来のために新しい曜変の美の世界を描くことを天は望んで
いる。
いかに素晴らしい藝術であれ過去の物まねでは意味が無い
病を透視て過去から未来に天は私を導いてくださった
空即是色色即是空
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