2012.
01.
15
上田社長との出逢いからすでに20年の年月が過ぎ去った。
自分の不手際で戴いた名刺も無くしてお名前も思い出せないでいる。
天目をゆめとしてこれに挑戦した半世紀のなかで
藤本、長江、上田の三人との出逢いを抜きには語れない。
ばけものに取り付かれてその苦しみから逃れよう、もうやめよう
とする私をはげましてくださったかけがえのない方々といえる。
今少し上田さんに触れたい。銀座の画廊での会話で
唐九郎先生とご自分のことを話された内容を紹介します。
わたしは先生の弟子でした。が、あるとき積んでいた
割り木が崩れて足の上に落ち、片足が不自由になりました。
先生はお前は焼き物造りはあきらめい
そのかわりわしの作品はお前にまかすと。
以後先生の作品の値段にかかわってきました。ただ、
先生は負けず嫌いでいつも人より高い値段でないと
ご機嫌が悪かった。
たしかその頃唐九郎しの茶碗一千万円の値がついていた。 人間国宝を遥かに見下す値段であった。
その値段を付けた彼が私の茶碗に自分一人では値段が
付けられないといわれた。以来、いまだに私の天目ネなし草 でさまよっている。
自分の不手際で戴いた名刺も無くしてお名前も思い出せないでいる。
天目をゆめとしてこれに挑戦した半世紀のなかで
藤本、長江、上田の三人との出逢いを抜きには語れない。
ばけものに取り付かれてその苦しみから逃れよう、もうやめよう
とする私をはげましてくださったかけがえのない方々といえる。
今少し上田さんに触れたい。銀座の画廊での会話で
唐九郎先生とご自分のことを話された内容を紹介します。
わたしは先生の弟子でした。が、あるとき積んでいた
割り木が崩れて足の上に落ち、片足が不自由になりました。
先生はお前は焼き物造りはあきらめい
そのかわりわしの作品はお前にまかすと。
以後先生の作品の値段にかかわってきました。ただ、
先生は負けず嫌いでいつも人より高い値段でないと
ご機嫌が悪かった。
たしかその頃唐九郎しの茶碗一千万円の値がついていた。 人間国宝を遥かに見下す値段であった。
その値段を付けた彼が私の茶碗に自分一人では値段が
付けられないといわれた。以来、いまだに私の天目ネなし草 でさまよっている。
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