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2013. 12. 12  
民衆的工芸品すなわち民芸といった言葉が手仕事の世界でさかん
に使われていた頃、昭和30年代といえば赤線が消えるとかで巷で
うわさが流れていました。
倉敷では民芸教の信者さんが多い所だった、とはあとになって知
ったんだけれど..。
とにかく手仕事と観れば全て民芸で片ずけられていました。
おらがやきもん習っていた羽島焼は民陶とかで知られていました
民芸館もありそこの館長なんかは民芸教の先生でしたなあ
敗戦後の殺伐とした空気のただようなかで民芸はかなりの人達に
受け入れられていったようです。
ただ自分がこの民芸になじめなかった。焼き物はきらいではなか
った。しかし自分の作品を民芸品あつかいされるのが気に入らなか
った。
羽島焼の虎さんのように方便と割り切って生きれたらいいんだけれ
どどうしても素直になれなかった。
特にきらいだったのは職人さん達に対する態度、ものいい、なんか
がいやでしたなあ。
彼らの好物は李朝の焼き物、家具類。これらを批評する口実には
なにかしら作者の能力を否定して彼らのお題目でかたずける。
久しぶりに蔵書の中の三島を取り上げた本をみて、久しぶりにかの
文言に触れましたが、やはりいやですなあ。
お高い所からの物言いには抵抗があります。
それと物造りする人達にはそれぞれが想いなり考えなりがあります
それを無作為の作為なんて訳のわからん文言でかたずける。
そんなんありません。ものを造るにはまずおもいがあってのこと。

わたし変な行きがかりから京都にお住まいであった河井寛次郎先生
をお尋ねしたことがありました。
ある先輩の仕事の手伝いしていたんだけどおらの仕事が気に入らん
らしくつぎつぎ手直しをしてゆく。
いささか嫌気がさしたんだけどだまっているうちにその作品が焼き
あがり河井先生に観ていただくとなった。
手直ししてない作品を手にして大層ほめていただいた。
彼の先輩民芸のにない手と言われている人、おら民芸嫌いな人間。
河井先生の感性とおらの感性似ているなと、不遜にもそのときおも
いました。
河井先生といえば民芸の旗頭。この先生に作品ほめて頂きん-ん
まっこと複雑な心境でしたはい。

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プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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