2014.
04.
03
20代の初め頃あたりから抹茶の道具としての茶碗をやりはじめた
そんな私にお茶の先生達の評判はことのほか厳しいものでした。
使える。使えない。
見よう見まねでメシ茶碗より多少大きいどんぶり造ってみても。
好いものをたくさん観て勉強するしかない。
それはそれ。おらなりにいいなと思える茶碗として井戸茶碗の
勉強を始めた。
茶碗やがメシ喰うていくためにはお茶の先生に好かれなければ。
当時にはそんな見方が主流でしたなあ。
んでそのお茶の先生の何人かに観てもらっても買ってはくれません
でした。
まあおらの場合お茶の先生ぬきで飯喰う方法を考えんと生きていけ
ん。そこで思ったことは人と同じことやっていては生きれない..。
そんな想いから釉薬の研究を始めたし、かなり焼き物を柔らかく
自由に考える様になってはいったようにおもう。
井戸茶碗というか李朝の焼き物あたりが自分には居心地がいい。
売れようが売れまいがとにかく毎窯数点は茶碗は焼いて来た。
このあいだからまたまた李朝あたりの、そう井戸を日南産の見島
土で造り始めました。
さ-てこれは楽しめるとおもいますなあ。
このあいだためしに志の土に使ったんだけど、美しいねずみ志のが
出来ています。
一つの良い材料を得るという事は可能性で言えば無限。
背伸びせんでも新しい作品が産まれます。
いつも御世話になっている木村さんが松の丸太を持って来てくれま
した。
そんな私にお茶の先生達の評判はことのほか厳しいものでした。
使える。使えない。
見よう見まねでメシ茶碗より多少大きいどんぶり造ってみても。
好いものをたくさん観て勉強するしかない。
それはそれ。おらなりにいいなと思える茶碗として井戸茶碗の
勉強を始めた。
茶碗やがメシ喰うていくためにはお茶の先生に好かれなければ。
当時にはそんな見方が主流でしたなあ。
んでそのお茶の先生の何人かに観てもらっても買ってはくれません
でした。
まあおらの場合お茶の先生ぬきで飯喰う方法を考えんと生きていけ
ん。そこで思ったことは人と同じことやっていては生きれない..。
そんな想いから釉薬の研究を始めたし、かなり焼き物を柔らかく
自由に考える様になってはいったようにおもう。
井戸茶碗というか李朝の焼き物あたりが自分には居心地がいい。
売れようが売れまいがとにかく毎窯数点は茶碗は焼いて来た。
このあいだからまたまた李朝あたりの、そう井戸を日南産の見島
土で造り始めました。
さ-てこれは楽しめるとおもいますなあ。
このあいだためしに志の土に使ったんだけど、美しいねずみ志のが
出来ています。
一つの良い材料を得るという事は可能性で言えば無限。
背伸びせんでも新しい作品が産まれます。
いつも御世話になっている木村さんが松の丸太を持って来てくれま
した。
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