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2015. 04. 09  
曜変天目はたぶん一度きりの窯で産まれたと書きましたがその理由
1、山をなす天目の破片の調査を長年されているが未だに曜変の破
片は見つかっていない。
2、宗から元、そして明の時代へと歴史が動く、その激動期にあっ
ておそらく最後の窯となる器にいたずらをした者がいた。建窯には
陶土は自前で油滴、兔毫等の天目を造れる。ために数百年の間そう
していた。
理由をあれこれ詮索してもおらにはわからないとしか云えないが、
いや、むしろそうであったら面白いとおもう。
釉薬の下地にそれまでとは異なる土を施しみた。
結果十数点美しい天目が出来た
もし、時代がおだやかな辰であり、薇帝も健在であったならこれらの
作品が日本にこなかった。そう考えてみるのも面白いと思っている

古陶磁の科学という本の中で内藤先生は曜変天目に関して次の様に
いっておられる。
天然にでる赤鉄鉱の結晶にも曜変に似た現象が観られることから
曜変の場合酸化第二鉄の結晶の付近に何か薄い膜が出来て其の膜
の表面からとその下の釉の表面からと反射する光がぶつかりあって
でるのだろうとおもわれる。
曜変天目が世の中に六っしかない事から観ると、そのような現象を
出す条件が揃うのはごくごく稀にしかおこらなかったといえます。
名古屋大学の山崎一雄師も同じ様に光の干渉ではないかと言っておら
れますがその膜の科学成分もその膜がどうして出来るか解っていませ
ん。
破片でもあれば手がかりがつかめるのだが今の段階で此れも望めない

曜変の破片がない。それは曜変は複数回焼いてはいない、という事で
はないだろうか。一度きりは極端かもしれないが..。
宗時代を代表する焼き物は青磁でこれは神器と云われていたが天目は
はたしてどうか、評価の対象としてみられなかったのか。
薇帝は兔毫の色は青黒を貴ぶ玉毫の条建せるものを上となす
蘇東破も兔毫を賛美した詩を詠んでいる。
兔毫、油滴が高く評価されていたのに曜変の名がないのはなぜか
私がいう時のいたずらとしか云えないとなる。
ではなぜその優品のみが日本にあるのか、其の経路はいかに。


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プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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