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2015. 04. 10  
もう10年以上前になるだろうか上海に営業所を出していた甥のツ
リンの所に1ヶ月位世話になった。
彼の二男のSHOKOのに通訳してもらって天目山にいった。
晩秋の山は霧に包まれて視界はぼんやりと墨絵の世界であった。
天目山は総称であっていくつかの山々には複数の名前があると聴い
ていた。それらの山で日本からも此の地にきて禅の修行をしていた
とは事前に聴いていた
私達も霊気に満ちた場所に佇み数百年の昔、命がけで此所に来て過
ごされた人達のことを偲んだ。
禅と天目茶わんとの因果関係を問う為ではなく、特別目的があって
の登山ではなかったが、この体験は私には得難いものであった
---人間、死を覚悟してはじめて見えてくるものがある。---

北京の故宮の館長、呂斉民先生に曜変天目が建盞と呼ばれたことが
ありますか、と御聴きしたとき
曜変は日本銘の天目と我々も呼んでいます。建窯で出来た事はたし
かですが...。
曜変天目茶わんは出来てすぐ日本に渡ったので中国銘はありません

ではだれが此の茶わんを日本に持ち込んだのかそれはおらにも解り
ませんただ、あの奥州の安倍、あるいは安東、藤原あたり...。
本当の歴史をねじ曲げて造りあげた表舞台には出ていないが舞台裏を
ひっくり返さなければ真実は解らない..。

おらにすれば過ぎ去ったことでありあれこれ詮索するきもないが室
町時代あたりに突然、曜変天目の名が表舞台に登場する
以後曜変は天下人の手からてに、長江惣吉さんの云うドブ板をわた
っていない、大名物として存在してきた。

曜変天目が1回きりの窯で数点産まれ、間なしに日本に渡った。
その曜変の模様は一様ではない。わたしは無限だとおもっている
曜変の美の世界が無限だとすればレプリカに固守するお絵描き曜
変は無意味な行為だとおもう
また、曜変を所有する美術館等の学芸委員のいう
偶然の産物との言い分にも同意出来ない、曜変は芸術作品であって
偶然産まれたものではない。

曜変天目の美の世界は無限の可能性をもっている。このことはこれま
で何度も指摘してきた。しかしそのことが現実自分の手によってやれ
ないでは意味が無い。
曜変の美の世界を表現することはけっして楽なことではない、がそれは
偶然でもない、哲学と想念とが相まってのみ描ける美の世界だといえ
る。現実にはあり得ないことをあるかの如く表現する。これを芸術とい
うんであれば曜変の美の世界は芸術そのものと私は思っている。








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プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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