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2015. 05. 28  
其の道で文句なしにすごいなと思う人間が世の中にいる
こないだからしみじみ思い起こしてみるんだけれど
刀匠藤本昭、名人だったなと..。
おらは入道とは25年位の付き合いだった。
あれこれ思い出してみて随分多くの事を教えてもらった。
ただ、これの内容は一般常識とはかけ離れた所が多々あって当時
自分の勉強不足もあり、就いていけなかった所もかなりあった
しかし、師が去って20年になる今日あえてここに書いてみたくな
った。
そんななかで特に面白いのは、やはり古代たたらだとおもう。
今から30年前くらいだったかなあ、総社市にある鬼の城の調査が
京都大学の教授の指導で行われてその報告会で幾つか話された内容
が実にチンピなものであった。
鬼の城がおおよそ7世紀あたりにつくられていた。はまあ好いとし
て、城壁の石垣は四国にある石の鑿を使って割った、云々であった。
要は此の時代に、日本には刃物の製造技術が無かったとの認識であ
った。
此の講演があって後しばらくして同じ総社市にある新本という所に
十数基の古代の溶鉱炉が出土した。これが6世紀.頃と判明した。
古事記の記述、いや口伝、には4世紀ころに鍛冶の仕事に拘る人が
日本に根就いたなんてのもある
京大の近藤教授が既に4世紀ごろにあった和鋼の技術を認めたくな
かったのか理由は不明
和鋼が太古の時代に既に存在していたことを認めたくない権威が我
が日本に幅をきかせているんだけれど..。
天の叢雲の剣、後の草薙の剣は銅剣だったなんてのもある
入道に登場願ってこの辺りのことをインタビユウ形式で聴けば次の様
になるだろうか

そも和鋼は日本でいつごろから造られていたと..。
ふんばかげた質問だなお前さんらしくもないふふふ、そんなことわし
はしらん
ま、そうくるとはおもっていたけど
なら聴くな
こないだあらと神社の近くで見つかった玉鋼。あれは飛鳥時代あたり
のだと
そう、あれは八つ目うなぎのもんよ
となれば時代的にいえばかなり新しい
四つ目の時代から八つ目の時代に移行する時代の汐目が解れば好いん
だけどわからん
谷筋に炉を造たのは上昇気流をりようしたゆうことですが、
そう、わしの考えでは後の時代の刃物より高い温度で鋼にしたと思う
物ごとなにによらず古い時代は幼稚であったとするやからには話す気
にもならんがな
ところでその谷間にあった炉なんだけど片面に4つの穴が開けていたの
がやがて八つになった無論谷川に炉の口があった




       
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プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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