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2015. 06. 12  
ともあれなんとか形になる
そんな状態のことを曲がりなりと表現しますが
昨日から今回注文頂いた茶器の作品造りはじめました
前回書きましたがロクロに触れることに不安があり、数ものを造る
ことができないまま半年が過ぎました
その間、今日こそは、と思いながら工房にいくんだけど、想いだけ
ではどうしようもないんですなあ。
土に触れるまでに至らない、空しく帰りごろん。
夜も昼もよくこれほど寝るもんだと我ながら感心の日々。

そんな中で子供の頃、5才くらいだったろうか父親に肩車されて自宅
から映画館に通ったこと
白菜の漬け物をご飯に巻いて口に入れてもらったおり
いやだあのりが食べたいといって困らせた事
映画館の入り口に切符を渡す小さな窓のそばにいたこと
映写機のそばであそんでいて時々父親に抱かれてまんがをみたこと
戦地に逝くちょっと前のある日これは焼夷弾なんだといって実物を
見せてくれたこと
呉はあぶないから岡山にゆくんだ

走馬灯のように父親が戦地に向う前の日々がめくるめく想いださ
れる
数年前に読売新聞の九州に在籍の記者からの知らせでアメリカの資料
に松本正夫の名前があることを知らされる
父は海軍の兵士として呉から戦地にむかったはず
しかし、父の手から離れたオラは岡山で空襲にあいその後倉敷へ

今此の年になってもう一度父の消息を訪ねたい。
そのことは自分の父のことを子供達にいっておかなければならない
裸足のげんの生きざまであった自分にとって己のことにかまけて
子達にはっきりいってこなかった事実を語らなければ成らないとき
がきたようにおもう

昨日久しぶりに本当に久しぶりにろくろに座り茶器造りを始めまし
たキウスを20ばかり、まがりなりになんとかなるんか。
ならんのか...。




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プロフィール

杉原大路

Author:杉原大路
1939年尾道市で産まれる
15才より倉敷市にて羽島焼故小河原虎吉、後に
丹波焼市野弘之に師事
北京市、人文大学、香港の出版社等より栄誉賞を受ける
曜変、滴珠、兔毫天目茶碗再現の鑑定証書を
北京故宮美術館呂済民館長ほか五名の国家鑑定家より受ける
鬼太鼓座代表松田惺山とのコラボレ-ション
現代美術作家とのグル-プ展日本陶芸展毎日新聞主催等に出品
日墺美術展倉敷市とウイ-ン出品
ウイ-ン、北京市倉敷市岡山市その他の美術館ギャラリ-等
で個展開催

インフォメーション
印賀焼:大路土窯 おろち陶芸同好会
鳥取県日野郡日南町印賀1438-10(旧大宮幼稚園)%%http://maps.google.co.jp/maps?q=35.239285,133.274098+(%E9%B3%A5%E5%8F%96%E7%9C%8C%E6%97%A5%E9%87%8E%E9%83%A1%E6%97%A5%E5%8D%97%E7%94%BA%E5%8D%B0%E8%B3%801438-10%EF%BC%88%E6%97%A7%E5%A4%A7%E5%AE%AE%E5%B9%BC%E7%A8%9A%E5%9C%92%EF%BC%89)&hl=ja&ie=UTF8&z=14%%35.239285%%133.274098%%14
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